立山黒部アルペンルート
誰でもベルエポックとなるような忘れられない年があると思います。マツケンにとって少年時代一番印象に残っているが昭和48年です。小学校の担任の先生は長野県出身の大学を卒業したばかりの
女性の先生でした。おっといきなり本題からそれました。
黒部アルペンルートが開通したのは1971(昭和46)年ですが、開業から2年あまりの昭和48年に父と
行きました。当時北陸新幹線はおろか上越新幹線も開通前で、富山へ向かうには上野から特急列車を利用するか、東海道新幹線米原駅経由で福井・金沢を経由して行くしか方法はなくアクセスは不便でした。
私のルートは新潟の祖父宅経由である意味理にかなったルートでした。新潟発大阪行きの急行越後はデイーゼルカーでグリーン車以外冷房はなく窓は全開でした。8月のお盆明けでしたが帰省と思われる方が乗車しており列車は非常に混んで言いました。
今日でも日本海側同士ということで人の行き来は多いのかも知れません。
最初の話は食べ物から、新潟駅で朝食のサンドウイッチを買ってもらいました。この時代コンビニはまだなくサンドイッチを食べれるのは、私の場合旅行かデパートのお好み食堂のいずれかでした。シンプルなロースハムのサンドイッチを一切れずつ大切に食べあと2切れ残して、東三条駅付近ですれ違った特急列車に飛ばされてしまいました・・・。このシーンいまだ鮮明です。
富山駅に昼頃到着し富山地鉄に乗り換えて立山駅へ、そして待望のアルペンルートへ。
記憶にあるのは黒部ダムの迫力に圧倒され落ちたらどうなるんだろうと不安になったこと、
電気方式で走るトロリーバスがとても新鮮でした。
立山千畳平のホテルにに宿泊しましたがとても涼しかったと記憶しています。
少年時代の旅は旅行記のアルバムがあり、黒部湖で買った饅頭の箱の表紙を
保存していました。250円となっています。今なら1,000円くらいでしょうか?
帰路は信濃大町経由松本駅から中央線急行アルプス号で帰路に着きました。
帰りの急行もとても混んでいました。
父は開業したばかりの黒部へ行ってみたかったのだと思います。
今にして思えば開業後2年たらずで黒部へ行っているわけでマツケンの自慢であります。
黒部アルペンルートの乗車券
昭和48年8月19日のゴム印が押されています。
コメントをお書きください