母が卒寿のお祝いに市長から表彰状と記念品を頂戴しました。
母は市長から表彰されたと大喜びです!。次の賞状ももらえるかな?
この企画は私の母のいとこ達からの私への15年ぶりの連絡でした。母に会いたいという内容の葉書で、私が真っ先に感じたのは「皆さんそろそろ終活を意識されているな」でした。
グループホームに入居されている戦争体験のある93歳の男女からお話を伺う機会がありました。両名様とも戦争が深く染み込んでおられるというのを痛感いたしました。
男性は呉服店を振り出しに現在自動車大手メーカーとなっている前身の飛行機会社に
軍需目的に雇用されそして戦争で外地(中国)へ、帰国後は新聞勧誘を経てアパレルメーカーに長くお勤めであったとのこと。
女性からは神奈川三浦半島でお生まれになりその後、今も現存する大手化学メーカーの戦争影響による工場移設と共に福島県郡山市ヘ、義兄が国鉄の駅長さんをされておりその勤務されている駅に宿泊されたこと、仙台の七夕祭りに行かれたことなどを話して下さいました。
ご本人から思い出の地に行ってみたいというお言葉はその場で聞けませんでしたが心の中で今も鮮明な記憶が残っていらっしゃると感じました。時代は変わったけど、今のその地の姿をご紹介したいと強く思いました。
母が若いころから懇意にしていた千葉県習志野市に住む母のいとこの一人から私の元に突然葉書が届きました。今から15年前くらい前まで母はそのいとこと立川及び山梨に住むいとこ達と箱根などへ旅行をしていました。ところがそのいとこ達のご主人が病気になりその看病などで旅行はおろか、10年くらい前からお付き合いが途切れてしまいました。
母も7年前に父を亡くし、認知症を発症し4年前からグループホームにお世話になっています。その葉書にはご主人が闘病の甲斐なく昨年夏に亡くなられたこと、そしてご本人も病気をされ入院されていたことや耳を悪くされたことなどが記載されておりました。葉書の要件は母の消息を確認し一度訪問したいこと、それにあたり私と文章で連絡が取りたいことなどが書かれていました。
私は手紙で母が健在で今、グループホームに入居していること、母の現状(体は元気だが初期認知であること)やグループホームへの訪問方法などをお伝えしました。
母にいとこが来たいといっていることを伝えたところ大喜びで”会いたい、いつ来るの“を何度も繰り返しました。
そして母が会いたがっているという手紙を私が投函した3日後に再びいとこから葉書が届きました。訪問予定日といとこが3人いるのですが遠方の山梨にいるいとこも母を心配しており消息を気にしていたが訪問が厳しく、母の現状を聞き“よかった、安心した”私によろしくというメッセージが書かれていました。
そして予定通り二人のいとこ達は母の元へ訪れ旧交を温めました。母もいとこ達に気づきお互いによしみちゃん(母の名前)、よしこちゃん、みつこちゃん(いとこの名前)とお互いの名前を呼び合い、楽しかった昔の旅行へ行った時の写真を眺め楽しかった思い出を語りあいました。母は何度もいとこ達にここ(グループホーム)に泊ってゆけと連呼したようです。
いとこ達が持ってきてくれたベストには「よしみ」というひらがなの名前が縫い付けてありました。また暖かくなったら来るねといとこ達は言って帰ったようです。良かった!
ただ心配してくれたもう一人の山梨のいとこはどうしても面会がかないません。
母とそのいとことの間で何かコミュニケーションを取る方法はと考えた時に思いついたのが母のビデオレターを見てもらう事と、いとこのビデオレターを作成し母に見せることでした。ビデオレターの作成だけでは、山梨へ行くのに少々もったいない気がします。
折角なので母がいとこ達と青春を過ごしたところや、母と私が遊びに行った時に連れて行ってもらったところを訪ね動画を撮影し、そしてその地のお土産を母に食べさせようと決めました。撮影旅行記も是非ご覧下さい。今回は親類の面会ですので再開は容易でした。
いとこから来た母との再会について、私宛の
手紙。母が元気で安心したことやまた春になったら来てくれると書かれていました。
撮影旅行記(平成28年3月22日~23日取材)
今回往路は今から43年前当時10才の私にタイムスリップすべく高尾駅始発の各駅停車を利用しました。中央線は以前新宿から松本まで各駅停車が走っていました。
各駅停車は途中何度も特急に抜かれます。塩山駅では「あずさ」号の通過待ちで15分止まりました。塩山は母の実家があり私の叔父(母の弟が)葡萄園を経営していますが、今回は素通りで失礼します。(笑)
いとこの最寄駅「長坂」駅に着きました。長坂駅、昔は各駅停車しか止まらなかったのですが、今は上下朝夕に1本特急「あずさ」号が止まります。長坂駅の記憶は全く残っていませんでした。
いとこのおじさんとおばさんには何と43年ぶりの再開となりました。まさに浦島太郎状態・・・私の外見を見てどこの「オヤジ」と思ったことでしょう・・・。(苦笑)
「おじさんとおばさん」は私に親戚の「キミヤス」さんに似ていると言ってすんなり私を受け入れてくれました。
最初に母の近況ビデオを見て頂き何度も「おじさんとおばさん」は母の元気そうな様子を見て喜んでいました。その後母のホームに電話を入れ「おじさんとおばさん」と母は10数年ぶりの会話を楽しみました。お互いに元気で会話できなによりでした。
「おばさん」は手料理で私と映像制作の「やましゅん」に昼食を振る舞ってくれました。豆の少し甘いお赤飯で子供の頃、ご馳走になったのを思い出しました。食事が終わると私は家から持参した「大正11年3月卒業」というタイトルのセピア色の写真を「おじさんとおばさん」に見せました。
この写真は母の母(以下、私の祖母)の卒業記念写真で現在の山梨大学の前身である「山梨實科高等女学校附属小学校教員養成所第14回卒業生」となっています。
「おじさんとおばさん」は残念ながら私の祖母に会ったことがなく写真の中からはっきりと祖母を示すことはできなかったのですが、お二人が祖母であろうと選んだ人物は見事に一致しました。
「おじさん」は折角の機会なので、私の祖母の生家がある白州へ行こうと話され天然水で有名になった北杜市白州町へ向かいました。私の祖母の成果はA羽という名字で現在の住まいも明治時代から続く家で立派なものでした。
この家の現在の当主がこの写真を母に送ってくださった方なのです。「おじさん」は当主に祖母は写真のどこ?と尋ねましたが「おじさん」同様面識はありませんでしたが、指さした写真の人物は見事に一致しました。
「おじさん」は更に近所の親戚に連れて行ってくれました。その家の入口にあった天然記念物の木がとても印象的でした。そのお宅でも祖母は同じ人を示しました。祖母が交通の発達していない時代に女性でありながら甲府の大学に通っていたことが私は誇らしい気持ちになりました。
宿舎を8時に出発し最初に向かったのは、JR小海線「甲斐大泉」駅です。駅員さんがお見えになるのは9時以降で、列車の無い時間帯の駅は閑散としていました。
駅の撮影を終えたあと「おじさん」と合流し「大湧水」へ行きました。ここは大泉の水源であり、「おじさんが」子供の頃は爆音のような感じで水が湧き出ていたようです。
現在は東京海洋大学の研究施設となっており、特別に許可を頂き見学しました。
水は常時10度に保たれまろやかな味でした。尚、この施設では幻の魚「イトウ」が養殖されています。
その後「おじさん」の案内で地元の酒造メーカー「谷桜酒造」と「北杜市考古資料館」を訪ねました。考古資料館では旧長坂町町史など資料が大変豊富でした。
「おじさん」の家に戻ると「おばさん」がお昼の弁当を用意してくれていました。
「おじさんとおばさん」とはここでお別れです。「おじさん、おばさん」本当にありがとうございました。その後「やましゅん」さんと二人で山梨の代表的な酒造である「七堅」を訪ね
長坂駅に戻りました。長坂駅ベンチで「おばさん」の作ってくれた弁当を頂きました。
駅に人の気配は全くありません。。。
季節はずれのローカル線の駅
谷桜酒造では原料米として[山田錦]を使用。
日本酒好きの方にはたまりません・・・。
酒蔵ではコンサートも開催されます。
正午過ぎの上り電車に乗り次に向かったのは、母の母校である「山梨県立山梨高校」です。母は昭和3年生まれですが現在の短大にあたる高等女学校卒業が自慢です。
教頭先生と私は同性の好か丁寧に案内して下さりました。一番のトピックは昭和33年
卒業生が学校に寄贈された大正時代からの歴代の制服を纏ったフィギュアです。母が在学の頃の制服を教頭先生が教えてくれました。教頭先生にお礼を申し上げ学校を後にし、ここで取材は終了です。
山梨高等学校の校歌が体育館に掲示されていました。
プラスワンの報告を致します。前述のように甲州市に親戚がいて、我が家の菩提寺があります。ここに眠る父や兄に母の米寿と家族の無事を報告し彼岸の墓参りをしました。
母の米寿のお祝いが今回の企画の発端でしたが、実は私の回想の旅であったのかもしれません。母から祖母の話を聞いたことはほとんどなく、家に飾られていた祖母の写真から想像を巡らしていましたが、会ったことが無く今後も会うことのない祖母を一番近しく感じられる機会となりました。少々大袈裟ですが、こんな祖母がいたことが今とても誇らしい気持ちです。
旅行から帰って
撮影した動画を編集しました。手前味噌ですが良く撮れています。
母もきっと喜ぶでしょう。後日編集したDVDを持参して母のホームを訪ねました。
施設の方にDVDを預け1週間後に行くと、職員の方の第一声はとても良い作品。
画面に出てくる親戚の人々を思い出し、まさに記憶が蘇る。情調が安定して息子である私が今度何時来るという定番の質問がぱたっと止まるとのこと。回想はやはり認知症に効果的なようです。旅行記ということで他の入居者のみなさんも見て頂いたようです。[ここいったことある]、[お友達はいいね]などアンコール上映が繰り返されたようです。良いところね、是非行ってみたいとみなさんおっしゃっていたようです。
1月後
ホームの職員の方に以前お聞きしたのですが、入居者の方がいつも見ているのは
[写真アルバム]だそうです。撮影したものをプリントしてアルバムを作成することを決めました。ホームにアルバムを持って訪問しました。母は大喜びです。
母は60年以上前の父との結婚式の写真を後生大事に持っており、同じように宝物になると思います。 実際家族写真のアルバムは1年に1回メンテナンスをしないとぼろぼろになってしまいます。