現在の鹿嶋市は
昭和49年当時は
鹿島町であった。
今回はノスタルジー&回想記を書いてみたいと思います。昭和49年3月21日春彼岸、国鉄成田駅
9時29分発銚子行きに乗車、途中佐原駅で乗り換えて10時27分鹿島神宮駅着。
駅前の観光案内所で地図(上記)をもらい鹿島神宮に向かいました。記憶があいまいなのですが
鹿がいたような気がしていたのですが、定かではありません。今日(6月24日)確認したところ
鹿は柵の中にいて離たれていません。おそらく他の神社と混同していたのでしょう。
当時の旅行記に鯉のえさ200円と書かれています。鹿島神宮の池の鯉にえさやりをしました。
鯉はどこでもそうですがえさをまくとすごい勢いでやって来ます。今もですが面白くてたまりません。
鹿島神宮の参拝を早々に終え時間つぶしに困ったのでしょうか?父は流しのタクシーをつかまえ
向かったのは鹿島臨海工業地帯でした。乗車したタクシーはなんと東京から来たタクシーとのこと。
旅行記に東海タクシーシノザキさんと書かれていました。東海タクシーと検索するとヒットせず
神奈川に東海交通がありますが、この会社だったのでしょうか?
当時の工業地帯はまだ建物がまばらだったのですが、今日はいかに?
あまりの発展ぶりに目を見張りました。今回はタクシーは利用せず鹿島神宮駅発銚子行きバスに
乗車し車窓からの確認でした。鹿島セントラルホテル往復の短時間訪問でしたが、少年時代も
車窓から見たと思います。回想は十分できました。
バスの車内から鹿島工業地帯を撮影
バスは銚子からロングランで運賃は
1,000円を超えます。PASMOは使えません。昔ながらの回数券を車内で販売しています。銚子から乗車すると1,000円の回数券では足りません・・・。
バスは鹿島神宮参道そばで下車して昼食場所有名そば店[竹やぶ]へ、975円の特上そばを注文。合成調味料を一切使用しないので提供に時間がかかるとメニューに書いてあります。
14時少し前にお店に入ったのですが、さすがに人気店混んでいて合席の上そばにありつけたのは
14時30分頃でした。のど越しの良い細めんざるタイプですがつゆあつに変更も可能、大ざるにすればよかったと思うくらいの美味でした。
画像がいまいちで美味しさが伝わらないのが残念
さてここから昭和49年3月21日の昼食にタイムスリップ。鹿島工業地帯からの帰り道東海タクシーが連れてきてくれたのは延方駅でした。当時駅前は食堂が1件あるのみで他に何もなかつたと記憶しています。大衆食堂でラーメンをすすりました。旅行記のこずかい帳に300円と書かれてますが
おそらく一人前の料金でしょう。今回時間の関係から延方駅前への訪問がかなわず、車窓からですが駅前に見るからに古い建物が1件あります。駅側に背を向けていますので、正面は確認できなかったのですが、42年前に父とラーメンをすすったお店としましょう。
帰りは延方駅から新宿行急行水郷に乗車(佐原まで各駅停車)16時頃自宅着となっています。
現在交通手段の主は高速バスにシフトしており特急は1本も走っていません。
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