写真のキップは帰りの乗車券です。男鹿線の羽立という小さな駅で求めたもので、羽黒山見物のため下車した鶴岡の駅印が押されています。
昭和49年時はオイルショックで物価高騰と物不足、その夏マツケンは両親と共に秋田県男鹿半島へ旅行しました。上野発19時27分急行津軽1号はかって出世列車と呼ばれ、奥羽本線経由青森行きで秋田までは10時間30分を要していました。夕飯は上野駅で購入した駅弁、そして朝食も乗り換えのため下車した秋田駅の駅弁でした。
秋田駅で購入した弁当、秋田発7時08分発男鹿行き列車内で食べたと思います。
竿灯祭りの由来とDISCOVERJAPANの
懐かしいキャッチコピーが書かれています。東洋軒のホームページは見当たりません・・・。
男鹿駅に到着後、バスにて門前へ向かい男鹿半島の海上遊覧へ。現在も海上遊覧は運航されており、4月下旬~10月末運航、営業時間9時~15時となっています。海上遊覧を終え次に向かったのは寒風山展望台。当時の入場料は100円でした。(現在は540円)寒風山でなまはげと記念撮影を終え宿舎の男鹿温泉へ。
8月とはいえ当時の寒風山はかなり寒かった記憶があります。温暖化の今日はどうかですが、
以前の東北は夏祭りの夜が更けると急に涼しい風が吹いていました。
翌日は朝7時のバスで羽立駅へ向かい土崎駅で急行しらゆき号に乗り換え一路鶴岡へ。
しらゆき号は青森~金沢まで走っていました。鶴岡駅からはバスで羽黒山へ、相当歩いたはずですが何故か羽黒山の記憶はほとんどありません・・・。
羽黒山の参拝を終え次に向かったのは父親の実家である新潟県田上村です。田上駅到着20時
30分となっており、親戚にご迷惑をおかけしたことでしょう。前年の黒部アルペンもそうでしたが、このころの旅行は帰省とくっついていました。
旅行の小遣い帳にお土産3,450円となっています。現在に換算すると15,000円くらいでしょうか?
そういえばなまはげの人形が家にありました。
翌日は親戚の家を朝出て新潟駅へ、上野行き始発急行列車の自由席に並び18時前に上野駅へ、そして自宅へ19時40分頃帰宅となっています。
マツケン小学生時代のマイ・ヒストリートリップです。この旅行が終わると夏休みも終わり。
宿題にあせった回想が・・・。
上段が男鹿半島遊覧船の乗船券、[国鉄周遊指定地]と記載。
寒風山の入場券、記念写真の撮影を入場券の画像にしているのも
ユニーク。昔は団体記念撮影が一般的でみんな写真を買いました。
このご時世ですと肖像権、個人情報保護とありえない貴重な入場記念券かもしれない?
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