バスは待てど来ない?
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)第六展示室(現代)では日本住宅公団団地実物再現コーナーがあります。トイレは憧れの水洗(和式)でお風呂はユニットバスとおもいきや木のお風呂です。
私事ですが小学校5年生の途中まで木のお風呂にマツケンははいってました。
この団地再現コーナーでは当時団地で社会問題となった事象のニュース映像が放映されています。今も昔もといったところでは、保育所の問題、最近あまり聞かない話題では、最寄り駅までのアクセスバス問題です。今回はバスの運行調査を回想してみます。
人口の急増はバスの供給が追い付かない、道路が昔のままで渋滞するなど公団住宅が建設されてもインフラが追い付いていかなかったようです。団地に引っ越してきた若いパパやママがバスに
乗車するための必死な情況が報道されています。バスに乗るためにバス停まで猛ダッシュをするも
バスは既に満員状態で停留所を通過、遅れも日常茶飯事でバスが本当に運行されているのか、
わからない。そこで団地住民が行ったのが路線バス運行調査です。ニュース映像によると家庭を
守る主婦たちが停留所に立ちバスの運行をチェックしていました。
バス会社は誠実に運行していたものと思われますが、インタビューを受けていたバス会社の運行責任者は「しかたない」を繰り返すばかりでした。。。
旅の紙芝居編集部マツケンは小学5~6年と、中1の3年間バス通学の経験があります。
バスは今と比べれば混んではおりますが、郊外の通学ということでたかが知れています。
ところがとなるのが下級生から上級生まで帰宅が一緒になる土曜日のお昼ごろのバスでした。
土曜日のディタイムでありバスの運行本数はもともと少ないのですが、間引き?らしい現象も
ときおり見られその日のバスは大変混雑していました。
小学生ですのでカーブを回るたびに大げさに移動したり、騒いでいたところ運転手さんが怒り
小学生全員がバスから降ろされてしまいました・・・。
この乗車拒否は問題となり学校で親子集会も開かれました。反省の弁を一人ずつ話した記憶が
あります。運転手さんを責めるつもりはありませんが、当時の公共交通機関は国鉄的な考え方に
近いのではと子供心に感じてました。
その後バスに関する大きなトラブルはなく、中学へと進みました。入学式の朝真新しい詰襟に
袖をとおしバスへ乗車しました。小学生時代からの顔なじみの運転手さんは😊しておめでとうと
言ってくれます。中学生は大人なのですが、幼い?マツケンは運転手さんに子供ですと伝え
小児運賃しか払わなかった記憶があります。帰りは駅前で定期券を購入しましたので
不正乗車?はこの時だけであったと思います。
当時40~50歳くらいの優しい運転手さん今も健在でしょうか?
あの時の笑顔瞼に焼き付いています。
団地の話題に『ダッコちゃん』なんの脈絡もない感じですが、ところがマツケンにはあるのです。山梨回想旅行に出てくる『オジサン』の
お母さん(マツケン母のおば)が山梨の田舎から娘さんのいる立川の公団団地に上京した際に『ダッコちゃん』を買ってくれたのです。
よもや買ってもらえると思っておらず、初体験の公団住宅はパラダイスでした。
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