昭和ひとケタ生まれ、当、旅の紙芝居編集部員が新入社員の頃50代。つまり今の新入社員にとってはイシマサ、マツケンの両部員が該当。
昭和二ケタとよばれるのであろうか?いかんせん幅が広すぎる。若いころは新人類と呼ばれたが今や旧人類。世代分布では団塊と団塊ジュニアに挟まれ谷間の世代と呼ばれています。
おばさん、さようなら
ご近所のおばさんと呼んでいた人が亡くなりました。このおばさんと特に親しくして頂いていた訳ではないのですが、所々で回想する思い出があります。今年多数の訃報に接しましたが、おばさんの件はとても寂しく残念です。今回、別原稿を用意していたのですがおばさんへの哀悼の意を込めて書いております。
おばさんはマツケン母とほぼ同世代ですが、かなりの働き者でした。詳しいことはわからないのですが、東銀座のお寿司屋さんで夜まで働いておられました。
今から約12年前おばさんと通勤経路が被っていた時期があります。おばさんはこの時点では昼、いわゆるランチタイムのみの勤務になっていたようですが、70歳を超えてもいきいきとお仕事をされていたと推察します。電車の中でよく子供のことを聞いてきました。いろいろ関心を持って頂いていたようで学校のことを話しました。
その後数年しておばさんは引退しました。朝晩近所を散歩されていたのですが、シャキシャキしていたおばさんの足の運びとは程遠い動きでした。これは完全に憶測ですが立ち仕事で足を悪くされてしまったのではと思ったりしました。
マツケン父が亡くなったときは足を引きずりながら焼香に来てくださいました。そこでおっしゃていたのはお母さんを大切にしてでした。おばさん自身もご主人を先に亡くされていましたのでとても実感のあるお言葉でした。
その後いつの間にか散歩するおばさんを見かけなくなりました。気にはしておりましたが確認の
すべもなくそのままでした。今年のお正月おばさんの家の方から若い方の大きな声が聞こえてきました。外を見るとお孫さんらしき人がおばさんをおぶっていました。久しぶりにおばさんの姿を見て
嬉しい気分になれました。
まだご健在だと安心していたのもつかの間、今日自治会の掲示板におばさんの訃報が・・・。
おばさんの自慢を一度だけ聞いたことがあります。『私は人生の中で2度家を建てたのよ』あなたも頑張って。心に響きます。
おばさん人生お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。
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