3月20日(月)惜しまれながら『千葉三越』は
33年の歴史に幕を閉じました。時を同じくし
てMR百貨店と呼ばれた『三越・伊勢丹ホー
ルデイングス』の社長が辞任しました。
閉鎖店舗が三越側の店舗が中心で三越
出身者サイドから不満の声が上がったと
ささやかれています。
百貨店が晴れの場であるという認識を持つ
当編集部『イシマサ』・『マツケン』としては
百貨店の存続を願うばかりです。
『マツケン』編集部員地元ショッピングセンター(以下SC)は『千葉三越』と同じ今から33年前の
1984年に誕生し、今日まで存続しています。このSCも30周年を迎えたころから少しずつ変化が
出てきました。このSCができるまで地元では食料品以外のものを調達するには、電車(車)を
利用しなければなりませんでした。
まさに開業当初は地元百貨店と言っても過言ではない『晴れ』の場でした。
駅側の入り口から店舗に入ると真っ先に目に入る店舗が若者(小~高生位?)向けの文具、雑貨などのファンシーショップで、お店の名前に『原宿』が冠してあり、町がこれから発展するエネルギー
のようなものを感じました。このお店は女性店主の方が長年頑張っておられましたが、昨年惜しまれ
ながら閉店しました。素人目に感じたのは当初の若者路線からシニア向けへのシフトです。
かなりの努力をされてお店を存続されたのではと拝察致します。
さて、SCの変調の件ですがファンシーショップ同様、店主の方の高齢化や売り上げ不振などの
理由から最近テナントの入れ替わりが激しいのとその閉店したお店の遊休スペースが店舗として
再利用されないケースが増えてきました。
『マツケン』が知る限りでも7店舗がなくなり代替で入った5店舗で残っているのは2店舗だけです。
前述しましたがこのSCが誕生の頃町はエネルギーに溢れ『三越』や『高島屋』など百貨店が地元にやってくるという噂でもちきりで、これからどれだけ町が発展するのだろうと胸を膨らませました。
結局『高島屋』は来ませんでしたが、『三越』はサテライト店舗が本当にやってきて今日も繁盛しているようです。
もう一度SCに話を戻します。このSCは大店法(大規模小売店舗立地法)が厳しく大型店の出店が
難しかった頃、地元商店と大型店が同一の敷地内で棲み分け営業をすることを条件に大型店の
開設が認められた時代に誕生した店舗で、多くのテナントが地元で古くから商売をされていた方々
が経営されているお店が中心です。このモデルの数少ない成功事例として取り上げられてきたようですが、さすがに曲がり角を向かえているように感じます。
ネガテイブな話を続けてしまいましたが、おそらくこのSCはいつまでも存続してくれるのではないかと思っています。今週創立33年の『福引セール』が開催されています。2,000円以上のお買い上げで福引1回ですが、『マツケン』は6,970円のお買い上げで三回PCの福引にチャレンジしました。
画面をなぞる形式の福引で当選本数の管理がしやすいシステムなのでしょうが、福引はやはり
リアルに回して『玉』が出てきてほしいと思うのは回想世代だけでしょうか?
何回チャレンジしても福引の当たらない『マツケン』のボヤキでした・・・。
写真は『千葉三越』1月閉店セールス開催の少し前に訪問した際に撮影しました。
ブランドショップの看板が出ておりバブル時期に青春時代を過ごした『イシマサ』、『マツケン』には憧れの場です。スペインの高級ブランド
『ロエベ』が入店していて、いつも眺めるばかりの頃を『追憶・マイヒストリー』しました。
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