写真のストックがなかったので、
鉄道模型です。
この電車を見ると少年時代の楽しかった
夏の家族旅行の思い出が鮮明に
蘇ります。
早いもので42年前の夏のことです。
平成29年4月8日、約50年にわたり活躍を続けた「国鉄型583系」寝台電車の引退が報じられました。この憧れの寝台電車に乗車したのは2回だけで、しかも最後に乗車してから25年の月日が
経過しました。最初に乗ったのは昭和50年で40年以上も前ですが、いずれも想い出深く記憶が
鮮明に残っています。
最初に乗った昭和50年、その年の6月に父に連れられ上野駅に行きました。いつものように父の
誘いは電車を見に行こうであったと思います。新潟出身の父は当時58歳そろそろ回想の時期をむかえふるさとへ走る「特急・とき」が懐かしかったのかもしれません。私自身の年齢が当時の
父に近づくにつれて気持ちがわかるようになりました。
さてその6月のとある日ですが、父は上野駅構内にあった「日本旅行」の旅行センターに行き
おもむろに北海道へ行こうと言い出しました。旅行代金はおとなひとり10万円くらいで
今なら30万円くらいでしょうか?海外旅行ではありませんが、とても嬉しく当時本州から出たことが
なかったので私にとっては海外旅行と同じでした。
上野駅旅行センターの窓口では往路利用予定の寝台特急の予約が1月前からと説明を
受けた記憶があります。当時の国鉄特急券は通常7日前から発売開始でしたが
セット旅行の特急券などに限り1部が1月前発売開始ではなかったでしょうか?
申し込みは済ませましたが7月ならないと「青森」行き寝台の発売は始まらず
そこで予約がOKにならないと旅行は見送りになる可能性が大でした。
当時、北海道へのアクセスは飛行機にシフトしつつある状況でしたが、上野を夜20時頃から
21時頃に出発し青森へ向かう寝台特急は「東北本線」経由が1本で「常磐線」経由が2本でした。
東北本線経由の寝台電車は出発時間が一番遅くスピードも速いためセット旅行に提供されるのは常磐線経由の「ゆうずる」号でした。
その「ゆうずる」号は10分間隔で20時頃出発ですが、早い方が青森から乗る「青函連絡船」の
自由席に早めに乗り換えられるからでしょうか?パック旅行にあてがわられるのは20時発の
2番目の方でした。
7月1日でしたでしょうか?寝台が予約OKと自宅に電話が入ったとき本当にうれしかったです。
このパック旅行では「青函連絡船」のグリーン車が付いており、船のグリーン船室に乗れるのも
とても楽しみでした。
当時特急に乗るのは新潟に帰省する時ぐらいで、いつもと違う特急のしかも寝台電車に
乗れるとあって父が夕食後縁台に出て涼んでいるそばに寄って、北海道旅行への
カウントダウンを一生懸命していました。
自分で言うのもなんですが、古き良き昭和の回想でした。
(その2へつづく)
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