昭和38年と言っておきながらなぜ昭和57年?
『東北新幹線開業物語』と関係があるから?
いいえ昭和57年は特に関係はないのです。
昭和38年がどういう位置づけになるのかを考えたとき
戦後18年で、今日戦後70年を超えている現状から
は戦後18年しか経過していない。戦争は知らないけ
ど戦争からそんなに遠くない世代ということ。
父の軍隊時代のものが、勲章を含め手元に
あります。
父の属していた通信部隊が、昭和57年
友好訪中団として中国を訪れています。
大阪(当時は伊丹)空港から上海までの
日航機内と当時の上海市内の様子です。
今日の目覚ましい発展前の上海の貴重な
写真です。
昭和64年間の真ん中からやや後ろより、東京五輪の前年昭和38年に『旅の紙芝居』編集部の両名は生まれました。最近齢を重ねてきたからでしょうか?昭和38年生まれが、
どういうものかを考えることが多くなりました。何回かに分けてこの昭和38年についてお話したいと思います。
まず戦後という観点から子供の頃は戦争が終わってかなり後から生まれたと思っていました。ところが今日戦後70年以上経過すると実は戦後そう遠くない時代に生まれたのだという感じが強くなっています。実際子供の頃『戦争を知らないこどもたち』というヒット曲も
ありました。
なぜ、戦争が遠い過去と感じていたかと言えばマクロ的には経済の高度成長があったからと思います。一方身近なところでは父から戦争体験を全く聞かなかったからでしょう。
姉や兄からはお父さん戦争の事話したがらないから聞いてはダメ、と教えられていたのと
父が戦前大正生まれをまったく感じさせなかったからだと思います。父は頑固なところは
ありましたが、とても優しいマイホームパパのはしりというのが私の記憶です。
そうは言え父の仕事以外の方とのお付き合いは軍隊の時の方が中心で軍隊の同期会にほぼ毎年参加していました。子供とは共有できない軍隊の記憶を同期会で蘇らせて
いたことと思います。父は参加していませんが、昭和57年に戦地を訪ねる『訪中友好団』が組織されその時のアルバムが残っています。
今日の中国の繁栄からはとても信じられないもので、戦後35年が過ぎ部隊の皆様が60歳をむかえる頃、そろそろの終活として実施されたのでしょうか?
戦地を訪れた際の写真です。参加された皆さんはこの時何を思ったのでしょうか?右下の写真が果物店となっていますが
後進国の市場と言った雰囲気です。
話題をがらっと変えて次は元号の話題です。天皇陛下が退位され皇太子殿下の
即位という方向で進んでおりますが、昭和~平成を経験された皆様なら予測のつくことですが新天皇が即位すれば新たな元号が制定されます。そうなると大正生まれの方は
『昭和・平成』を経て4つの元号を経験されます。又昭和50年以降お生まれの方も高い確率で次の次の元号4つの元号を経験される可能性が高いと思われます。
旅の紙芝居編集部の両名については皇太子さまとほぼ同世代で4つ目の元号を体験できるかは分かりません。2020年のオリンピック開催に向け『レガシー』という言葉が頻繁に出てきます。オリンピックを体験できるのは一生のうちに一回程度(冬季は含まず)なので
記憶に残る事をしようというのが、おおざっぱな解釈です。前回昭和39年五輪当時20歳前後の方が現在75歳前後、東京で2回のオリンピックを記憶に残せることうらやましいです。『旅の紙芝居』編集部員の両名は前回開催時1歳でしたので、記憶に残せるのは
今回が初めてです。どのように思い出を作り回想ができるのか、今から楽しみです。
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