『死を語る』佐藤優、中村うさぎ対談を読んで(PHP文庫)
旅の紙芝居編集部員は知命(50歳)を超え、死についても考えなければならない年齢に達しましたが何も考えていません。おそらく死が怖いからだと思います。
8月下旬出張で水戸へ向かいました。その際に読んだのがタイトルの本です。
本の第二章で『社会死』について語られています。最初の項目が『社会的な死が若者たちを追いつめる』という内容で『自分が不幸なのはあいつのせいだ』とすぐに他人に責任転嫁して問題を起こす。大学を奨学金で卒業すると毎月6~7万円の返済となり格差社会に放り出されるという内容です。
なんだか難しい方向に話を進めてしまいましたので、いつもの方向に軌道修正します。(笑)
50代を時間で表現すると黄昏時でしょうか?
さて、私が大学へ通学していたのは今から32~33年前です。当時4年生大学進学率は
記憶ですが20%代後半で誰もが進学するわけではありませんでした。
昔からある有名でない単科大学ですが良き仲間に巡り合い、そして学費の心配することなく卒業させてくれた両親に感謝しています。
最近母の認知が進んでいます。そんな時思いだすのが学生最後の日、社会人旅立ち前日の両親との夕食です。その日母は近所にあった美味しい『とんかつ屋』の一口ヒレカツを用意してくれ、第一声は『今日はかつだよ』そして父は『人生にかつ』と呼応するように
言いました。昭和60年3月下旬の食卓です。今タイムスリップしてみたいのはこの夕食です。
私は今その食卓の母と同年代です。数年後に訪れる子供にその時と同じ想いをさせられるか正直自信はありません。それでも家族の想いを繋ぐ『旅の紙芝居』でなくてはなりません。今からその日の心づもりだけはして行きたいと思います。
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