祖母の命日
写真のSLは9月下旬、愛媛県西条市の四国鉄道パークinSAIJOを訪問した際に撮影しました。1938年(昭和13年)生まれで祖母が亡くなる4年前に誕生しました。
群馬県高崎を振り出しに最後は北海道岩見沢へ、そして引退後に四国へやってきました。
祖母は明治36年2月28日、現在天然水の産出地として有名な山梨県北杜市白州町に生まれました。身内贔屓で恐縮ですが祖母は明治生まれの女性にも関わらず、地元山梨大学を卒業し白州地区エリアの呼称である北巨摩一の才女と呼ばれていたようです。
祖母は長女で沢山弟や妹がいて大学の休みに帰省すると弟妹が近所の川の袂まで迎えに出ていたようです。皆、祖母の甲府のお土産を楽しみに待っていたとのこと。
大学卒業後教員として社会人生活を送り、現在の山梨県甲州市塩山に嫁ぎます。家に祖母の
嫁入り写真が飾られていますが、とても晴れやかな顔をしています。
そして昭和3年母が第一子長女として誕生、その後詳細は不明ですが生活拠点を台湾に移し
帰国後の昭和17年9月30日に亡くなっています。母が14歳の時に実の母と死別しています。
祖母は祖父がその後再婚し私にとっては写真だけの遠い存在でしたが、昨年母の従兄妹にあたる本家の跡取りの方から山林の相続に関する相談書面が届きその家系図によって祖母の誕生と
命日を知る事となりました。
9月30日が今年土曜日でありましたので母のグループホームへ行き母と二人で祖母を忍び
合掌しました。母も祖母の名前『美代子』と私が言うとピクッと反応しているのが印象的でした。
今年は多少供養らしきことができほっとしています。
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