先日朝日新聞千葉版に無くなる百貨店の特集記事で既に15年以上前の2000年に閉店となった『茂原そごう』が掲載されていました。私事ですが奥さんが外房出身で子供が小さい頃何かとお世話になった百貨店です。
2016年に千葉にあった百貨店というタイトルのブログを書きましたが、このブログがおかげさまで700件以上アクセスを頂いています。https://kami-shibai.jimdo.com/2016/09/18/千葉にあった百貨店/
今回その続編として、当デパートの回想とフィクション、復活の日を書いてみます。
さて、最初に新聞記事の内容から、『茂原そごう』は地元の陳情活動が実り『そごうデパート』中興の祖水島廣雄氏が進出を決めます。水島氏は開店の挨拶で人口8・5万人の最も小さい町への出店と述べています。
水島氏の判断がなければ、当然『茂原そごう』は誕生しなかった分けで茂原にとって同氏は大恩人です。
『茂原そごう』には一度も使用されることがなかった6千万円を投じた水島氏の執務室も用意されました。
『茂原そごう』の黒字化は年率15%の成長が必須で、はなから黒字は望めなかったようです。
次に私と『茂原そごう』のお付き合いの話ですが、閉店前の3~4年間でした。家内の実家が茂原から更に奥へ入った外房エリアで、家内の実家に行き、義父母からデパートに行こうと誘われ、行った先が『茂原そごう』で義父母のハレの場の買い物先でありました。
JR千葉駅前には『千葉そごう』と『千葉三越』の両雄があったのですが、義父母の家からは車で1時間30分かかり行くには1日仕事、一方茂原までは車で30分気軽に行ける百貨店で同時期、同じように存在した『木更津そごう』共々房総半島の広いエリアを商圏としていました。品揃えは確かに千葉駅前と比較にはなりませんが、有名中華店がテナントだったり、1階のコーヒーショップでは、焼き立て『ワッフル』も楽しめました。義父母も孫に服を買って上げたり美味しい食事を楽しみ、楽しいひとときを過ごせました。
楽しい思い出が回想されます。
木更津、茂原ともほぼ同時期に閉店しましたが、茂原と木更津はアクアラインの料金引き下げなどの活性化策によりその後、明暗が分かれたのは旧知のとおりです。https://www.nikkei.com/article/DGXNZO66836880U4A210C1L71000/
ここからは未来予想のフィクションです。小泉進次郎内閣は地方創生を確実に遂行し、千葉県においてはいわゆる『千葉都民』と呼ばれる東京通勤圏のシニア層を過疎地域である房総半島への移住を進め、県内全域への人口の標準化に成功しました。
〇〇市においてはかって2万5千人であった人口が、3万3千人まで盛り返しました。
移住人はかってバブルを体験した世代で、ブランドものを中心に百貨店信奉を持っています。
実際〇〇市にある△△百貨店ギフトショップでは、売り上げが対前年120%と好調に推移しました。
房総半島の自治体は更なる人口増に向け『そごう百貨店』を運営する親会社に茂原へ百貨店を開設する請願をしました。
ギフトショップの好調に気を良くした百貨店経営陣は『茂原そごう』復活を決めました。
請願した自治体も百貨店の売り上げ増に寄与すべく、百貨店で使える『プレミア商品券』を発行します。
又、2030年道路交通法の改正により70歳以上の車運転可能時間が、夜7時までに制限され遠方への外出が厳しくなり、そこも追い風となって、 茂原に30年ぶりに復活した『そごう』は連日大賑わいです。週末には移住したシニアの子供や孫も買い物に訪れ子供用品も活況です。
いつかこんな日が訪れるのを期待しています。
あなたの思い出の旅再現!
コメントをお書きください