青函連絡船1981年グリルの営業状況
北海道へ初めて行ったのは、13歳中学二年生のとき、旅行代金は父と母と旅の紙芝居編集部員の私の3名で約30万円であったと記憶しています。当時家を新築したばかりで、家計は厳しかったと思います。父はそんなそぶりを全く見せず、上野駅旅行センターで突然北海道へ行こうと言い出し、即申込。生涯忘れることの無い『追憶・マイヒストリー』の旅です。
弘済会1981年8月道内時刻表に青函連絡船、船内グリル、喫茶、娯楽室のご案内が
掲載されています。どのように営業されていたのか、回想してみましょう。
時刻表に掲載されている船内グリルのお品書きです。郷土の味として最初に海峡ラーメンが、紹介されています。
青函連絡船とラーメン合います。
船内グリルの営業をしていた連絡船は『津軽丸、八甲田丸、松前丸、大雪丸、摩周丸、羊諦丸、十和田丸』の7船です。貨物船から後に旅客船に改造された『石狩丸、檜山丸』などには設備がありませんでした。
営業時間は出航より着岸40分前までとなっており、函館、青森それぞれの港に着岸するまでに食事が終わるスケジュールでした。
メニューは郷土の味や船内特別弁当が用意され、快適な船旅が楽しめました。ただ少年であった旅の紙芝居編集部員は昔あった青函連絡船事故を勝手に想像し、少し不安な気持ちもありました。青森行きの特急車内で青函連絡船乗船名簿を記入して提出する事になっており、純情な少年は船の運行を案じたのでしょうか?(笑)
上記の切符『ゆうづる2号』は青森駅に早朝5:08に到着し、5:25発の青函連絡船3便に接続、函館着が9:15ですので、8:35頃がラストオーダーでした。
喫茶、娯楽室は飲み物中心で、外国産ウイスキーは600円~1,200円の範囲でありました。
ビールは、本場ドイツ産が560円で提供。シャワー室は1回7分間200円で利用できました。グリルへ行ったかどうか、記憶は曖昧です。もし、食べたとしたらおそらく『海峡ラーメン味噌味』であったでしょう。この時の旅行アルバムに函館駅の駅弁の紙が貼ってありますので、立ち寄っていないかも知れません。駅弁の事を父はよく『汽車弁』と言っていました。この北海道旅行は、人生初の体験を沢山しました。この件は又、別の機会にご紹介したいと思います。
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