スカイライナーのデビューは空港開港に遡る事5年前?!
スカイライナーの運行開始日は、昭和48年の年末12月30日でした。成田空港開港に合わせて落成された車両ですが、空港反対派の抵抗などで、開港は延期され、車両をいつまでも遊ばせておけない京成電鉄は、京成上野~京成成田間の暫定開業に踏み切ります。 スカイライナーイラスト、
中央にご注目下さい。
列車名表示は「スカイライナー」ではなく、
特急と表示されていました。
成田空港が開港したのは昭和53年ですが、京成スカイライナーは、京成上野~京成成田間をノンストップ、特急料金250円で昭和48年の年の瀬、押し迫った12月30日に運行開始しました。成田空港旧駅(現東成田)へ延伸するのは、5年の月日を要します。京成にはスカイライナー開業以前、「開運号」と呼ばれる有料特急が運行されており、その流れを踏襲した形態上野~京成成田間の運行でした。
旅の紙芝居編集部のスカイライナー初乗りは、昭和49年京成成田~京成上野間、小学校の同級生と共にでした。当時の写真を見ると皆、とても嬉しそうで、まさに夢の空港特急であったのでしょう。
最寄駅から京成成田までは、20分強の所要時間で随分物好きと言えば、まさにそのとおりです。
車内の記憶で鮮明なのは、客室へ入るドアが自動ドアであったこと。当時新幹線くらいしか、自動ドアの車両は無く、何度か自動ドアを試したのを思いだします。
京成上野到着後向かったのは、神田万世橋のたもとにあった「交通博物館」です。1階には鉄道大ジオラマがあり、かぶりつきで楽しみました。そして腹ごしらえは、特急「こだま」の食堂車を模した食堂です。ここへ来るといつも思い出すのは、父の故郷新潟へ行く特急「とき」号です。「とき」に乗ると大抵食堂車へ連れていってもらいました。 交通博物館の食堂へ来る度、次に「とき」ときに乗れるのはいつだろうと思ってました。
特急「とき」の食堂車は「日本食堂」と「聚楽」の2社体制の営業でした。この営業形態は、上越新幹線ビュッフエ営業にも引き継がれます。
さて、スカイライナーに話を戻します。スカイライナーが開業してから京成本線に空港関連駅以外で、唯一開業した駅があります。ヒントはカタカナで始まる駅名、そうです「ユーカリが丘」です。
成田空港開港に遅れること4年の昭和57年でした。
京成電車時刻表創刊第2号表紙に「ユーカリが丘」駅、昭和57年11月1日開業と記載されています。表紙のスカイライナー車両の足回りは今も京成線現役で活躍しているんです。3400系通勤電車として、車体本体は載せ替えられましたが、台車は特急車両にふさわしく「空気バネ」が搭載された快適な車両です。でも今の外見からは誰もかって「スカイライナー」であったことは、一部の鉄道フアンを除き想像もつきません。50年近く運行されており、近い時期引退も予想されますが、是非、マツケンの定年までは現役でいておくれ~
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