「寝台電車・連絡船・シティホテル・飛行機」初体験の旅
はじめて北海道へ旅行したときの旅の思い出ノートに張り付けた旅館や駅弁の箸袋です。40年以上前ですが、それぞれに思い出が蘇ります。マツケン少年の回想旅行にお付き合い願います。
還暦、定年が近くなってきたからでしょうか?名歌のフレーズではありませんが、「夏がくれば思いだす・・・」の如く、初めての北海道旅行の記憶が蘇ります。中学二年生ではじめて体験する事ばかり、生涯忘れえぬ旅の乗り物編です。
最初に寝台電車からです。以前「サヨナラ働き者の寝台電車①、②」というブログを書きましたが、後にも先にも寝台電車の寝台に乗車したのは、この旅行一度限りです。8月1日は「青森ねぶた祭」開催日の前日、東北が熱くなる前日上野から青森へ向かいました。
父が幅の広い下段に陣取り、中段へ母が、そして当時身軽であった私が梯子をスイスイ登り上段へ、上段にはエアコンのスイッチがあり、対面の上段の私より少し、お姉さんの少女が寒くない?と聞いてくれました。あの可愛らしい少女もそろそろお婆さんです。(苦笑)
2つ目は青函連絡船。セット旅行にはグリーン車指定席が付いていました。青函連絡船は、青森が近づくと乗船名簿が配布され、記入後車掌さんに渡します。子供心に名簿の提出=リスクと感じました。当時グリーン車には贅沢税とも言うべき通行税10%が確か、課税されていたと思います。物心つく前に一度普通車指定が取れなかったため、親の膝上でグリーンに乗車したことがあるようですが、自席でグリーンに乗車したのは、初めてでした。連絡船の早朝便で夏の海風は清々しくデッキにいた時間の方が長かったように記憶しています。
そして3番目はシテイホテル、前日は今回の旅行でもっともゆったりとした阿寒湖~然別湖への移動でした。霧のかかる神秘的な湖畔の宿に早めに到着し、貸しボートも楽しみました。そして最終宿泊場所は、北の大都札幌です。大通公園や狸小路の散策を楽しみホテルへ。夕食はホテル内のレストランで、両親と私は何の疑いもなく浴衣に着替えエレベーターに乗り込みました。レストランの入り口でお客様、浴衣でのご利用はできませんとホテルの方から注意を受けました。マツケン一家にとってホテルは初体験で何とも言えない・・・・(汗)体験でした。子供であった私には、ホテルを知る良い経験、父親はどんな気持ちだったのでしょうか?確認しておけば、良かったです。(笑)
昭和51年当時の搭乗券です。座席はシールを貼り付けていました。右側はお昼の食べた「鮭めし」の紙おしぼりの袋です。
上が切れているのは、ご愛敬ということで・・・。
そして、最後は生まれて初めて乗った飛行機です。父は搭乗経験があったようですが、母と私は、初フライトでした。ANAの機材は、最新鋭の「ロッキードトライスター」、日本政治を震撼させた
あのロッキード事件の飛行機です。飛行機の出発時間が、確か30分遅れたのですが、当時30分以上遅延すると航空会社から食事クーポン500円が配布されました。現在は、私の知る限り1時間遅れてもお詫びの挨拶くらい、当時飛行機はそれなりのステータスのある乗り物であったということでしょうか?
今回はここまでとし、次回は旅行の中身についてお話したいと思います。
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