大好きな北海道が大地震・・・。
北海道の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
ご支援できることは、限られていますが、少しでも
貢献できるよう努めてまいります!
北海道の復興を祈念して、当ブログを書きました。
40年以上前の少年時代の旅行であり、あやふやな
旅行記のため細かいところまでは回想できません。。。それでも余程思い出深い楽しい旅行だったんだと思います。今でも鮮明な記憶が沢山残っています!
青函連絡船を下船し、函館駅から乗車したのは「特急おおぞら2号」、当時の列車番号は上下線とも1から振られ、函館駅を下り2番目に発車するのが、「おおぞら2号」でした。
「おおぞら」号は石勝線の開通後、札幌~釧路間の運行となりましたが、当時は函館から
釧路までロングランしており、その中で唯一旭川行きを併設していたのが、この下り2号でした。函館を9:35に出発し、旭川には15:35に到着、6時間の所要です。旭川からはバスに1時間40分揺られ初泊の地、層雲峡温泉に18時頃到着です。
前日上野を出発したのが20時で、家を出たのがおそらく17時頃、一昼夜を超える長旅でした。宿泊したホテルのロビーに大きな熊のはく製が展示されていたように思いますが
定かではありません。。。
翌日は少し、ゆっくりめの出発です。層雲峡のロープウエイを堪能し、長距離バスに乗車、途中温根湯を経て石北線留辺蘂駅へ、途中道路はところどころ険しく未舗装区間も
通過したと思います。留辺蘂駅はまさに古き良き昭和の時代と言う風情で、石北本線と言いながらローカル線という風情でした。留辺蘂駅から約2時間で網走へ向かいます。
時刻表を見ると乗車した時間とほぼ同時間帯で現在も鈍行列車が走っています。
この個人型パック旅行はところどころ「鈍行」列車の利用区間があり、いかにローカル線とは言え指定席の無い長距離列車を利用させていたのが特徴的です。現在のJRローカル線はワンマン運行が当たり前で、2両連結でもワンマンの際は後方の車両には乗車できません。当時は親方日の丸の日本国有鉄道、少なくとも3両以上で走っており、立ち席となる可能性は低かったからでしょうか。
網走に16時少し前に到着し、宿入りと思いきや原生花園の観光がありました。夕暮れ時の原生花園の光景、今でも鮮明です。
翌日は網走駅から石北本線ですので、ローカルというのは大変失礼なのですが、
再び石北本線鈍行に約30分揺られ美幌駅へ。美幌から当時阿寒バスの定期観光が
美幌駅前から運行されており乗車。途中美幌峠、川湯、摩周湖をめぐり阿寒湖へ。
途中通過した弟子屈には、昭和の大横綱「大鵬」記念館が車窓から見え、いつの日か
行ってみたいと思ったのですが、今日まで実現していません。
ちなみに霧の摩周湖はおこないが、良いようできれいに見えました。(笑)
その後旅行を生業としてからも摩周湖はよく見え、勝率は8割を超えます。
今回は、この屁のツッパリ自慢話でおひらきとさせて頂きます。
次回は生涯忘れえぬ北海道③最終回を書いてみたいと思います。
美幌で買った「鮭めし」です。何の変哲もない弁当ですが、一番思い出深い(美味しかったと思っている)弁当です。美幌太郎庵で、検索すると
民宿太郎庵が出てきます。美幌駅前となっており
関連する民宿であったかも知れませんが、残念ながら民宿は現在閉館となっています。
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