旅行記に張り付けた札幌のパンフレット、札幌市内観光バスの乗車券、札幌テレビ塔入場券ここまでは順当ですが、あとの1枚は阿寒湖の博物館、少年の絵日記ということで、この曖昧さご容赦願います。
北海道、先日の大地震の後も場所により、余震が続き落ち着かない日々を過ごされている方も多いと思います。新聞によると地震後100万人の宿泊予約がキャンセルされたと報じられており、経済復興も急がなければなりません。国内外の旅行客を対象とした復興割引も設定されましたので、これが観光需要に繋がり、経済が回復する事を祈念しております。
さて、今私ができるのはブログを書く事くらいですが、北海道が早く元気なってほしいという気持ちを込めて書きたいと思います。
今回は静粛な大自然然別湖から北の大都札幌、そして旅行終了後の出来事をご紹介します。左の写真は然別湖で宿泊した「ホテル福原荘のパンフレットです。一番右上のフロントの写真にいかにも時代を感じさせる、パンタロンを履いた若い女性が印象的です。
然別湖から帯広駅まで長距離バス移動が最初。このバス乗車は、全く覚えていません。帯広駅から石勝線開業前の旧ルート、途中富良野を通過する根室本線経由で札幌へ。特急おおぞら号の車中からの景色は雨で、どこかで貰ったマッチ箱を特急の大きな窓に置いて対抗列車の写真を撮ったのを覚えています。変な記憶が残っているものです。
そんな天候も札幌へ着くと回復。青空の大通公園の開放的な雰囲気はとても新鮮でした。発想の貧弱な私は、北海道と言えば「札幌一番」ラーメンのCMで流していた時計台のイメージしかなく、活気あふれる「狸小路」を両親と歩くと、とても浮き浮きした気分でした。
1972年開催札幌冬季五輪開催の三年後の訪問で、当時は全くそんな感慨はなかったのですが、五輪の開催に向け町が、大きく変貌したところであったのでしょうか。
スキージャンプ日の丸飛行隊の金銀銅独占は少年を夢中にさせ、坂でジャンプゴッコ遊びをよくやりました。当時のTVは絶大でジャンプ選手の所属チーム「ニッカウイスキー」、「たくぎん」、「雪印乳業」は子供だけでなく、大人にも鮮明な記憶を残したことでしょう。札幌見学で立ち寄ったジャンプ台は大倉山で、メダル獲得の地ではありませんが、あまりの高さに驚いたのと当時はジャンプ台にリフトが無かったので、歩いて上がると聞いて大変驚きました。生涯忘れえぬ北海道回想はこの辺でお開きとさせて頂きます。
続きましてアフター編をご紹介します。利用した旅行商品が個人型のパック旅行で、同一行程を回る家族の方が数組いらっしゃいました。最初は誰も気づかないのですが、同じバスや同じ列車を毎回利用していれば、それは分かります。そんなところから一組のご夫婦の方と旅行中親しくなり、旅行終了後、双方の家へ1回ずつ訪問しました。
父はその方とずっと交流を続け、その方が出展する写真コンクールに何度も足を運びました。かれこれ30年近いお付き合いであったと思います。後先旅行がご縁で交流が続いたのは、このご家族だけです。北海道という大らかな土地が、交友を取り持ってくれたのでしょうか?
北海道大好きです。そして北海道旅行を体験させてくれた両親に感謝を伝え当ブログを終了したいと思います。
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