新宿、東京、池袋などのターミナル駅には、いかにもその道のプロと言った風情の改札の職人達が、鋏を鳴らし大勢の利用者をさばいていました。現在改札はほとんどが、自動化され、切符を切ってくれる職員さんは皆無となりました。
私が社会人になったばかりの頃、会社の先輩が上の写真のような改札鋏を持っていました。その鋏なんで持っているんですか?と尋ねると、手先を示し駅員にやられたと言っています。改札の際、駅員さんが誤って切符ではなく先輩の手を挟んでしまい、怒った先輩が、鋏を取り上げてしまったようです。同様の話は他にも何度が耳にしました。
続いて私鉄最寄駅が自動販売機が導入される前で、駅の窓口で硬券切符を求めていた時代の話、これは正しくは昭和末期の頃です。行き先を告げ切符を手渡されると既に(改札済)入鉄状態で手渡されました。駅にとっては、非常に合理的と言えますが、当時思ったのは、乗るのを止めた場合、その切符の払い戻しがうけられるのか、不安でした。
当時の鉄道は、国鉄を筆頭に乗せてやっているという感じが強く、私鉄であっても若干それに近い雰囲気でした。
次に子供運賃にまつわる話です。私が小学生の頃、私鉄の子供運賃は大人の半額として、5円単位となっていました。ICカード全盛の今日、運賃は1円単位が常識となりつつありますが、当時国鉄は、子供は大人半額端数切捨てが(今も)ルールで、私鉄は「ガメツイ」と私は思っていました。
上野~新潟間を結んだ特急「とき」号の列車サボです。列車サボも平成に入り、行き先表示幕が普及し廃止されたと言えるでしょう。サボと言う言葉今どのくらいの人が知っているのでしょうか?
次にこれも厳密には昭和ですが、切符購入にまつわる新聞投稿記事を
ご紹介します。若干記憶が、曖昧ですが概ね次のような記事であったと思います。
高齢の自動販売機に慣れていなそうな女性が、駅の窓口で切符を求めようとすると駅の出札窓口氏は「ジバイキ」(自動販売機)と回答。それに対しその女性は「チバイキ」(千葉駅)と聞こえたようで、はあー千葉駅ですか?と答え、新聞に投書した方が国鉄職員の不親切を詰っていた記事であったと記憶しています。現在こんな不親切な駅員さんを見かけることはありませんが、私の義母はSuicanaなどのICカードの利用方法が、最寄り駅で導入されておらず分からないようで、電車に乗れないとこぼします。逆にICカード慣れした妙齢の方が、ICカードが使えない路線に乗車し、何で使えないのと駅員さんに詰めよっているのを見かけたりもします。
最後に私のICカード体験を2つお話します。最初はJR成田駅の切符自動販売機はSuicaやPasomoPasomoなどのICカードで乗車券の購入ができます。これは、当ブログの見出しにご紹介したJR鹿島線が、IC未対応で便宜をはかったものと思われます。最近の若い人は現金を持ち歩かずICやクレジットだけ所持という話を聞いたことがありますが、そんなところが理由なのでしょうか?
いよいよオ-ラスの体験談はJR日暮里京成線乗り換え改札でのできごと。自動改札機にIC定期券をタッチして、新幹線切符を挿入し、改札を通過できると思いきや自動改札は「係員のいる通路にお回りください」という無常のアナウンス。致し方なく窓口へ向かうと私の定期券がJR連絡定期となっているため新幹線乗車券とダブッているため、そのまま自動改札は通れませんとの事でした。これはAIが普及すればきっと解消されるのでしょう。
SL蒸気機関車、現在も復活運転がされていますが、定期運行は昭和で終了。平成で定期運行が無くなったのは、他に夜行列車(現在も一部存続)、客車列車でしょうか?
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