昭和30~40年代生まれの子供たちが、特急列車に乗る楽しみと言えば食堂車では、なかったでしょうか?写真は寝台特急「あさかぜ」あさかぜの車庫出発前からの食堂車の準備風景です。真ん中右の写真はホームでの食材積み込み作業の様子。これだけの材料を積み込むのですから現代のように入線→即出発とは行かない訳です。
東海道・山陽新幹線は、平成初期まで食堂車があり、何といっても代表的なのは100系車両による「グランドひかり」2階建て食堂車です。旅の紙芝居編集部員は、平成2年に博多~東京まで新幹線に乗車した際、当食堂車を利用しました。
新幹線の食堂車は「日本食堂」、「ビュッフエ東京」、「都ホテル」、「帝国ホテル」などの複数事業者が参入し、それぞれにメニューに特色があり、時刻表には食堂車の営業会社が記載されていました。
まさかとは思いますが、食堂車の営業会社で乗車列車を決めていた方が、おられたのかも知れません。
興盛を誇った新幹線食堂車ですが、バブル終焉の頃転機を迎えます。好景気でサラリーマンでもグリーン車に乗るような時期があり、JRに対してグリーン車のチケットが取れないとクレームが多発。民営JRにとって食堂車は「赤字」で頭を悩ませていたところにグリーン車の増席要望は、JRにとってまさに渡りに船でした。食堂車をグリーン車に置き換えた後、食堂車の復活はありません。それどころか、「こだま」号からは車内販売も姿を消しました。
ここからは、話題をガラリと変えて当編集部マツケンの
新幹線車内販売の思い出を披露致します。高校修学旅行で京都へ行った帰りの車内販売(食堂車)の担当は、「帝国ホテル」でした。車内販売が回ってきたので、アイスクリームを買い求めると車販のお姉さんが、私の学生服をまじまじと見つめます。そして私にK高校と質問が飛んできました。どうして?と質問すると、そのお姉さんもK高校の出身だったのです。生意気にも良い会社に就職されたのですねと話しかけると、お姉さんは照れ臭そうに「まあね」と回答しました。車内販売が飛ぶように売れていた古き良き時代の回想です。
さて、まとめは当ブログが得意とする近未来フィクションです。食堂車復活について語ります。JRでは人口減少により新幹線利用者が減ったとして「グリーン車」1両を食堂車に置き換える事にしました。新幹線の食堂車復活は30年ぶりのことで、かってビジネスマンとして「ひかり」号を利用した世代から大変好評です。食堂車では沿線ご当地食材を中心としたメニュー提供となっており、地域創生の一躍も果たしています。車内販売では、シニアスタッフが活躍し、豊富な社会経験を生かした接客により売上UPにも貢献しています。
いつかこんな日が来るのを切望しています。食堂車については、改めて記載してみたいと思います。
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