新年明けましておめでとうございます。
ブログを開設して早3年目に突入します。
今年は、「旅の紙芝居」の見直しも進めます。
どうぞ本年もよろしくお願い致します。
さて、ご挨拶はこのぐらいにとどめ本題に入ります。
平成30年も残すところ10日余りとなった12月年末、
ひょんなことからJR「山陰線」に44年ぶりに乗車
する機会を得ました。
44年前の光景が記憶に鮮明に残り、今と対比するのが
少々辛く今回の「山陰線」の画像は、入れませんでした。
それでは44年前初めて「山陰線」に乗車した時から
振り返ってみたいと思います。
(昭和50年8月1日~2日旅程)
東京21:55発(急行銀河51号)6:59着京都
京都7:46発(山陰線、普通綾部行き)10:01着綾部
綾部10:29発(快速はしだてビーチ)10:59着天橋立
平成が終わろうとしている今日においても
京都7:40頃発の「山陰線」には、朝東京を出発しても
乗車する事はできません。
前日に京都に宿泊するか、夜行高速バスを
利用するかのいずれかです。
綾部駅から乗車したのは「快速はしだてビーチ」号
現在運行中の特急「はしだて」号に名前のよく似た
夏季臨時海水浴列車であったと思われます。
この列車に乗車した記憶はのこっていません。
そして今回のスケジュールです。
(平成30年12月下旬)
品川6:57発(のぞみ7号)9:11着京都
京都9:25発(特急はしだて1号)10:31着綾部
※そのまま直通11:30着天橋立
東京を8時間後に出発して30分後の
11時30分に到着できます。
44年前の「山陰線」初乗車は、
本当に刺激的でした。
現在観光トロッコ列車となっている保津峡沿いに
列車は走り、あまりの景観の見事さに
夜行列車の疲れを忘れ、少年であったマツケンは
大声で感動を伝えておりました。
4人掛けのボックス席に家族3人で陣取り
1人だけ相席となった地元の会社員と思しき方は
その様子をみて、保津峡を詳しく解説下さいました。
当時30歳くらいの方で、現在75歳くらいに
なっておられるのでしょうか?
JR福知山駅に展示されているSL機関車と機関車の向きを変える転車台
転車台が高く機関車の正面からの撮影が、
厳しいため後方から撮影しました。
SLの後ろ姿、なかなか味があります。
さて、タイムスリップして今日の「山陰線」です。
大きく2つの変化を感じました。
一つめは、気動車から
電車に代わっていたこと。
そして二つめ、車窓があまりにも一変していたこと。
保津峡の景観が見られなくなったことは
線路が切り替わり、時間短縮に繋がり理解できます。
44年前の記憶の「山陰線」は、渓谷区間が終わっても
美しい竹林や森の原風景が見れました。
ところが、今日、森が荒れ放題。
以前田んぼとおぼしきところは、耕運機がその地に
放置され、もう何年もそのままの様子で錆びつき
野ざらしの寂しい状態。
荒れ地が災害に繋がるという言葉そのものの
場所が散見されました。
過疎化で致し方なしといったところでしょうか。
何とも言えぬ寂寥感でした。。。
話題を変え、福知山城について
少しお話しします。
来年のNHK大河ドラマ主人公は
戦国武将「明智光秀」です。
福知山城は光秀統治で、善政がされ
地元で今でも愛されているとのこと。
高度成長、バブル期はあまり焦点が
当たらない人なのかも知れませんが、
低成長、自分探しが求められる今日
とてもモデルになる人物と思います。
大河で視聴率が高いとされる戦国もの
今から楽しみです。
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