平成元年に献血し、その際に頂いた献血手帳です。(真ん中)
昭和に訂正線が引かれ、
平成の「ハンコ」が押されています。
上下は2枚のテレフォンカードです。
上段のテレフォンカードは
タクシー会社より、平成8年頃頂きました。
下のテレフォンカードは、昭和61年に
誕生した幕張メッセの将来を描いたものです。
私はこのまま健康に過ごせれば、
昭和、平成、新元号を
それぞれ三分の一ずつの人生を
送る事になりそうです。
母の老人ホームへ行くと「平成最後のxx」という
スローガンが使いまわされ、
クリスマス、お正月を経て
節分でしたが、現在は「ひな祭り」
はて、最後はいかに・・・
旅の紙芝居編集部の両名は、昭和30年代後半
前回の東京五輪の前年
昭和38年に誕生しました。
東京五輪を2度体験できる
幸せな世代と言いたいところですが、
当時1歳では、全く記憶がありません。
我々の良い?ところは3つの元号を
ほぼ均等に過ごせることと
言えますでしょうか。
母が習っていた踊りの会で
老人クラブの慰問へ行ってました。
その練習の際、流れてくる
テープのフレーズが
「明治、大正、昭和へと
いろんな事がありました・・・」
母曰く、この歌が流れると
お年寄りが涙すると。
今、老人ホームに来る
ボランテイアの方はおそらく
「昭和、平成」とは、歌っていません。
戦争体験度合いが元号に関する
重みの違いのように感じます。
さて、今回は昭和60年頃の
私を回想します。
社会人スタートがこの年で、
親元を離れはじめて仙台で過ごしました。
仙台は、旅行で何度か行ったことは、
ありましたが、縁も所縁もない土地。
慣れない営業職でしたが、
温かい人柄と風光明媚な土地で、
楽しい、懐かしい
思い出が沢山あります。
勿論つらいこともありましたが。。。
仙台に赴任した年の大河ドラマが、
大河史上最高視聴率を記録した
「独眼竜政宗」でした。
今、仙台を代表する
お土産となっている
「萩の月」は、ブレーク寸前で
J事務所当時人気アイドルの
お勧めから急に広がり
品薄となり、買えないこともありました。
新幹線が大宮~上野まで延伸したのが
この年、昭和60年3月で、
東京と仙台が近くなりました。
学生気分がまだ残る社会人一年生。
当然お金もなく、実家へ帰省するのに
当時走っていた夜行急行を
利用したこともあります。
前日19時頃青森を出発し、
仙台には日付が変わった
12(0)時頃に来る夜行急行。
約6時間かけて翌朝上野に到着。
7時すぎに自宅へ着くと
懐かしいみそ汁の匂い。
我が家では、母ではなく、
父が好物の「じゃがいもみそ汁」を
用意してくれていました。
満腹となり、朝食後は睡魔が襲い
昼まで爆睡しました。
1泊して翌日19時30分頃実家を出て
仙台へ戻ります。
先代へ帰る時間が、近づくと
両親が寂しそうにしていたのを
昨日のように思い出します。
30年以上前の懐かしい
青春時代の思い出です。
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