今日は昭和55年当時国鉄で走っていた鈍行夜行列車をご紹介したいと思います。
まさか、国鉄の分割民営化を意識したとは思いませんが、現在のJR6社の域内に
走っていました。
旅の紙芝居編集部、乗車の思い出も合わせてご紹介します。
(JR北海道エリア)
函館23:51発 (41列車) 6:52着札幌21:34発(48列車)5:01着函館
48列車は函館で2時間後の青函連絡船に接続
(上越線・JR東日本エリア)
上野22:11発(733M) 4:45着長岡
この電車は通勤と山男、山ガール向け兼用列車であったようです。上りは設定されて
おらず下りのみの運行でした。終点長岡駅1っ手前の『宮内』駅で5分の乗り換え時間で
各駅停車『米原』行き接続。新潟県から富山、石川、福井、岐阜と行動範囲の広い
電車でした。尚、終点長岡からは『新潟』行き鈍行にも接続していました。
(中央線・JR東日本エリア)
新宿23:55発(441M)8:02着松本8:17発(441M)9:49着長野
長野18:30発(1442M)19:56着松本20:56発(442M)4:43着新宿
40代後半以降の山男、山ガールの皆さんなら一度は利用されたことがあるのでは、
ないでしょうか?旅の紙芝居編集部は、下りの夜行に忘れられない思い出があります。
大学2年の時友人の下宿先で麻雀をしていました。冬でボロアパートは隙間風が
ピューピュー入り込んできました。そんな時寒いから『夜行列車』に乗ろうと誰かが
言い出して、新宿23:55発に計画もなく乗車したことがあります。記憶の世界ですが
甲府で長時間停車があり、駅前のコンビニに立ち寄ったような気がします。
翌朝は松本城などへ行きました。帰りの記憶がないのですが、おそらく
急行『アルプス』で戻ったと思います。大学生くらいしか思いつきで、夜行に乗るなんて
事はできません。(笑)
(東海道線・JR東日本・東海エリア)
東京23:25発(345M)6:59着大垣20:25(340M)4:40着東京
現在の『ムーンライトながら』(普通車全車指定席)の前身列車です。この列車でなんと
言っても人気があったのが、『グリーン車』です。シーズンは2時間前に並んでいないと
座れない状況でした。私がお世話になった豪傑女性上司は仕事帰り、酔っぱらって
この大垣行きに乗車し、下車駅の横浜を大幅に乗り過ごし、沼津駅で下車、
そして沼津から上り東京行きに乗り換えて翌日会社に出社したという強者です。
あと他に『静岡駅』でこの列車に合わせて駅弁の販売が行われていました。
新幹線ですら車内販売の無い今日、何ともありがたいサービスでした。
そして下り列車は名古屋駅で名物『きしめん』の堪能もできました!
何とも言えない古き良き時代です。
ここからは乗車経験が無く運行ダイヤのみ紹介致します。
(紀勢線・JR東海エリア)
名古屋15:21発(921列車、はやたま号)5:00着天王寺23:00発(924列車、はやたま号)
12:57着名古屋
※当時のロンゲスト列車、走行距離502.1Km
(山陰線・JR西日本エリア)
京都22:04発(827列車、山陰号)9:48着出雲市19:11発(826列車、山陰号)5:24着京都
※途中『福知山駅』では『リヤカー』を引いた駅弁屋さんがいたとか・・・。
(土讃線・JR四国エリア)
高松0:49発(731D)7:51着中村20:48発(762D)3:31着高松
※夜行鈍行で最短距離231.5Km、東北新幹線の東京~郡山あたりでしょうか。
上り列車は当時『宇高連絡船』の初便、高松3:52発に接続しました。
(長崎線・佐世保線・JR九州エリア)
門司港22:40発(1421/4421レ、ながさき号)6:40着長崎/4:48着佐世保
長崎23:00発/佐世保0:30発(1420/4420レ、ながさき号)7:44着門司港
当時高速道の全国ネットワークは完成前で、『高速バス』は東名などを一部を除いて
走っておらず『夜行鈍行』が生活の足として機能していたのかも知れません。
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