京成電鉄広報紙『京成らいん』
19年6月号によると、京成線
谷津海岸(現谷津)駅から
谷津遊園地まで、昭和2年~
昭和9年まで支線が走っていました。
現在の京成本線『谷津駅』は
改称されるまで『谷津遊園駅』として
特急や急行が停車しましたが、
現在は各駅停車しか、止まらない
ローカル駅となりました。
私と谷津遊園の関りについて
お話します。
一番の思い出は、中学1年生の夏
母に連れられ、夏のプールへ
入ったことです。
直接、聞いた訳ではありませんが、
この年、父の夏のボーナスが
良かったようで、父から母に
私へのご褒美を与えるよう
指示があったと勝手に思ってます。(笑)
母はプールに入る事はなく
日傘をさしてプールサイドにいました。
私が泳ぎ疲れたころ、今度は
デパートへ連れてってくれました。
デパートでは、英和辞典を買ってもらい
食堂で晩ご飯を食べ帰宅しました。
今も鮮明に覚えているのは、よほど
楽しかったからでしょう・・・。
さて、旅の紙芝居らしく、
谷津遊園にあった乗り物について
お話します。
谷津遊園の晩年である1977(昭和52)年
恐怖の宙返りコースターと呼ばれた
「コークスクリュー」が誕生しました。
「コークスクリュー」を開発したのは
アメリカの会社で構造は全てパイプ製。
全長は382.5mで1周は約70秒。
米国以外で初めて導入されたのが
谷津遊園でした。
「コークスクリュー」の料金は
大人、子供共通で400円でした。
谷津遊園の当時営業時間は
9:00~17:00と今のテーマパークの
営業時間とは隔世の感があります。
「コークスクリュー」は谷津遊園閉館後に
海を渡り北海道ルスツ高原が
第二の職場となります。
私は平成の初頭ルスツで再開しました。
何だかとても懐かしかったです。
さて、最後に谷津遊園の雑学です。
京成谷津遊園駅から遊園地までの
道のりはおもちゃ屋、やどかり、カメを
売る店などが並んでいました。
最近のテーマパークのような
洗練されたお店でなく
いかにも昭和という感じのお店です。
谷津遊園閉館後、従業員の多くの方が
TDLに移動されたようです。
営業時間、アメリカナイズの組織
馴染むまで大変だったと拝察します。
もう現役の方はいらっしゃらないかも
知れませんが、改めて
お疲れ様でしたと伝えたいです。
コメントをお書きください