この写真を見ていると
まるで戦争で焼かれたかの
ようですが、昭和51年4月に
北海道追分機関区で
起こった火災直後の
「D51-603」です。
この機関車は、
その後修復され
今日京都で展示されています。
かって東京神田にあった
交通博物館や埼玉県大宮にある
鉄道博物館へ行かれた方は
「C57-135」という名称を聞けば
日本国有鉄道最後の
旅客列車を牽引したSLと
イメージされると思います。
このC57機関車が展示のため
追分から東京へ旅立った数日後に
SLとそのその後後継機となる
予定であったデイーゼル機関車が
火事で燃えてしまいました。
1977年に発行された
鉄道雑誌によると火災が
発生したのは、4月13日夜。
この機関庫にはSLの他に
DLと呼ばれる後継機関車が
存置されていました。
DLは車両価格が1両あたり
約1億円で、8億円の損失と
報じられています。
引退の花道を飾れないSLと
これからデビューしようとする
DL、それぞれに無念で
あったと思います。
「D51-603」は「C57-135」同様に
東京で展示予定でありましたが、
この火災が運命を変えます。
途中のプロセスは、分かりませんが
結局東京には行かず、
前頭部と車輪に分けられて
今日、嵯峨野19世紀館に
展示されています。
他のSLも複数展示されていて、
大宮鉄道博物館に展示されている
C57-135のような、国鉄最後の
旅客機といった希少性はありませんが、
引退後も同じSLの仲間たちと
余生を過ごしている、
幸せに暮らしていると言えます。
さて、まとめは追分機関区の
火災について。
どうやら今日まで、火災の原因は
究明されていないようです。
当時鉄道フアンの間では
職を追われたSL達の怨念が
火事を起こしたと語られていたとか、
自ら火葬の道を選んだと。
その追分機関区はJR北海道に
転じてからは、廃止となり
宴の後になりました。
国鉄時代ですので、8億円の損失は
あまり語られずじまいでしたが、
今日経営の厳しいJR北海道で
おきたとしたらとてつもない
問題になっていたと思います。
コメントをお書きください
臥鳳龍帝 (月曜日, 22 2月 2021 14:05)
やっぱりデゴイチは勿論、他の列車達も可哀想だと思いました。特にD51240号機は、最後のSLでその後は余生を静かに過ごすはずでした。私はこの前かつてTVで放送された「鉄道慕情」を見ましたが最後にはその火災の映像が流れました。あの映像を見た時、なぜ火も消そうとせずに車両を助け出そうと思わず映像を撮りながら傍観しているのかと一時は顔が真っ赤になるまで怒りました。そして泣きたいくらい心が痛みました。
この事件の日から随分経っていますが、鉄道ファンにとっては忘れてはなってはならない、そんな事件だと改めて思い、後世に語り継ぎたいです。
菊池 陽向 (月曜日, 22 2月 2021 14:07)
臥鳳龍帝です。名前は追加でお願いいたします�
旅の紙芝居編集部BYマツケン (火曜日, 23 2月 2021 10:34)
菊池さま
こんにちは、コメントありがとうございます。火災のシーンTVで放映されたのですね。ある日突然当ブログのアクセスが増えたので、何かあったなと感じてました。
昔話ですが、当時国鉄は『親方日の丸』と呼ばれまったくと言っていいほど顧客本位ではなく、そんな環境も火災につながったのかも知れません。私は、光の存在と言えるC57-135の存在しか関心が無く、当時の交通博物館へよく行きました。
そんなある日、鉄道雑誌のバックナンバーを開いてD51の存在を知り興味を持ちました。最近では北陸新幹線車両の水没が記憶に新しいところです。この車両は解体されてしまったのでしょうか?できれば公園などに展示してほしかったなと昔の鉄道少年は思っています。
菊池 陽向 (火曜日, 09 3月 2021 15:05)
先程のコメント�は、住所書き次第コメント
は消して下さい。
菊池 陽向 (木曜日, 11 3月 2021 08:38)
コメント削除ありがとうございます。
寿都鉄道の件で何かあれば前のコメントに書いてあった住所をお使いください。
旅の紙芝居編集部BYマツケン (土曜日, 13 3月 2021 14:32)
菊池さま
面白いコメントと寿都鉄道興味深いお話ありがとうございます!
寿都一度も訪ねたことなく、今別の話題でホットですが、
いつか行ってみたいです。
旅の紙芝居ブログですが、何等か自分が経験したり
直接関わったことを題材としています。
是非、一度訪ねたあとに書いて見たいです。
他諸々お誘いありがとうございます!!
Twitterほとんどやってないです。
また当サイトに書き込みしてください。
ここで交流させていただければと存じます。
ありがとうございました。
マツケン拝