左のパンフレットは、今を遡ること
42年前、昭和53年に大井川鉄道が
発行した『井川線パンフレット』です。
価格は20円ですが、一体どこで
購入したのでしょうか?
駅の切符売り場、お土産売り場
はたまた新聞無人販売のような所
残念ながら記憶にありません・・・
それでは早速ですが、VS方式で
昭和の井川線と平成・令和の井川線を
対比したいと思います。
(1) 『森林鉄道VSアプト式鉄道』
昭和53年に発行されたパンフレットには
『井川線』は森林鉄道と記載されています。
森林鉄道は、以前日本に
沢山あったが、次々となくなり、
現状日本で乗車が
許されるのは、『井川線』だけと
書かれています。
一方平成から今日まで『井川線』は
日本唯一の 『アプト式鉄道』と
呼ばれています。
井川線の前に日本にあった
アプト式鉄道は、長野県の碓井峠を
越える信越本線の横川~軽井沢間で、
ラックレールと呼ばれる
歯形レールを使って急な坂を
登り、降りするように考案されたものです。
井川線は、100分の90という
日本一の急勾配を昇り降りします。
アプト式鉄道で
イメージされるのは
信越線の横川~軽井沢間で、
横川駅で販売されていた
思いだされる方が
多いのではないでしょうか?
とは言っても実際信越線が、
アプト式であったのは
1963年まで。
それ以降は碓井峠の急勾配に
対応するため補助機関車の
付け替えが横川、軽井沢駅で
それぞれ行われ
機関車の付け替え
時間を利用して
釜めしを購入したという
記憶の方がほとんでは、ないかと。
2) 旧駅名VS新駅名
『市代駅、唐沢駅、犬間駅、長島駅』
VS
『アプトいちしろ駅、長島ダム駅、ひらんだ駅、
奥大井湖上駅、接阻峡温泉駅』
長島ダムの建設に伴い
唐沢駅、犬間駅は集落が水没し
駅は廃止され
井川線はルート変更となり
アプト式鉄道区間が
誕生しました。
駅名称変更が2つ
『市城駅』→『アプトいちしろ駅』
『長島駅』→『長島ダム駅』
駅新設が3つ
『ひらんだ駅、奥大井湖上駅、接阻峡温泉駅』
ルート変更が行われていなければ
名所、『奥大井湖上駅』は
誕生しませんでした。
パンフレット中央部分が
水没し廃止となったエリアです。
当時『スロフ11型』という客車が
連結され、日本一定員が少ない
16名の客車として、
話題になったとか。
この車両は『井川ダム工事中』は
貴賓車であったとのこと。
まちがっていたら
ごめんなさい。
これが『スロフ11型』
ではないかと思います。
3) 井川村VS 静岡市
終着駅井川は1969年1月まで
行政区分は村でした。
平成の大合併よりもはるか前に
静岡市に編入されましたが、
訪ねると、どことなく
独立した雰囲気を感じます。
平成20年頃まで井川から静岡へ
直通バスが運行されていましたが、
直通バスは現在廃止されています。
ありきたりの表現ですが、
人の記憶は、曖昧です。
旅をしていて、強く印象に残った事が
久しぶりに再訪すると全く違った
光景であることが、しばしばあります。
今から40年近く前大学生の頃、
父と友人と登山に行った帰り
バス待ちの間スナック風の喫茶店に入りました。
その店で、『さっさと出ろ!』と追い出されました。
連休期間中でかりかりしていたのか、
あるいはその筋の方のお店であったのかは、
はっきりしませんが、元気なうちにそのお店が
あった場所に行ってみたいと考えています。
良い思い出ばかりが、回想ではありませんね。
全国秘境駅ランキング第二位
井川線『尾盛』駅の写真です。
以前熊が出ると話題になりましたが、
下車した鉄道フアンと思しき方に
女性車掌さんから『マムシ』に
気を付けて、と注意が・・・。
【旅の紙芝居新ブログ予告】
『ブログ小説回想茂原十河と復活予想』
次回から掲載開始、乞うご期待下さい。
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