今回は百貨店の代わりに?
誕生したジャスコ(現AEON)を
キィテナントとする
ショッピングセンターについて
書きます。
本題の前に左の写真は
JR鹿島線の車内。
20年五輪サッカー会場への
足となるため、Suicaが利用できる
ようになるが、潮来駅は無人化。
第四章『千葉にあった百貨店②』
百貨店は来るにはきたけど
ミニ店舗、地元にとって
百貨店の役割を担ったのが
ショッピングセンターでした。
このショッピングセンターは
大店法と呼ばれる大型店の
出店に規制がかかっていた時期に
誕生しました。
どういうことかと言えば、
有名店、大企業単独での出店は
まかりならぬ。
大型店舗を開設したいならば
地元の中小商店と協働して
お店を出しなさいということでした。
この状況下ですので、
有名店の出店は難しく、
魅力ある店舗というよりは、
地元に古くからある
路面にあったお店が
ショッピングセンターへ
移ってきた感じです。
この形態のショッピングセンターに
平成の初頭大きな変化がありました。
『とんかつ和幸』、『銀座ハゲ天』、『FLO』など
大手有名チェーンが、
テナントとして、入ってきたのです。
これでは、やっていけない、
という事だったのでしょうか
家族経営っぽい総菜屋さんや
100円ケーキを販売するお店などが
相次ぎ撤退。
入ってきた大手有名チェーンは、
バブル景気と物珍しさから
最初は売上が順調のようでした。
ところがリーマンショックの頃から
徐々に不振となり、閉店して行きます。
まるで百貨店『十河』の退潮と時を
同じくするようでした。
地元のお店と違い逃げ足の速さを
感じずには、いられませんでした。
地元百貨店サテライトショップ
『十河』もは閉店。
一方三越は、『千葉三越』が
閉店したにも今日まで
営業が続いています。
さて再びショッピングセンターについて。
平成20年前後から旅行代理店が閉店、
理容室も閉店するなど
町の高齢化に合わせるように
徐々に衰退して行きます。
テナントは一番多い時の約半分まで
落ち込んだように感じます。
今春、開店当時から営業していた
『カメラ』店が閉店しました。
このカメラ店の閉店の張り紙に
開店当時から長い間
ありがとうございましたと
書かれていました。
令和2年1月には、婦人服店が閉店し
婦人服のテナントもいよいよ1店舗だけ。
婦人服と縁はないけど
心の中で応援します!
(今回はここで終了です。次回につづきます。
みなさま、どうぞ良い新年をお迎えください。)
BY 旅の紙芝居編集部 マツケン
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