第四章千葉にあった百貨店④
大井川鉄道で活躍する
大阪南海電鉄、昭和33年製
21000系車両運転台です。
車内のつり革に難波高島屋の
広告が今も残っています。
茂原十河(そごう)百貨店について
振り返ってみます。
開店は1992(平成4)年でした。
開店前はいわゆるバブル絶頂期で
誰もが土地神話を信じ、
地価上昇は永続するという
都市伝説を皆が信じていました。
地価が高騰する限り家を持とうとする
サラリ-マンに手が届くのは郊外です。
郊外の住宅地から都心の勤め先まで、
2時間近い時間を要するのですが、
人口は増え続けました。
茂原十河(そごう)の出店を決めたのは
同社の中興の祖とされる銀行出身の
水島氏です。
当時郊外には百貨店ミニ店舗が
多く出店しましたが、茂原はフル規格の
百貨店が出店します。
フル規格というと何だか新幹線の
計画みたいな感じですが、
なかなか誘致は厳しいとされる
本格的な百貨店が、
茂原に誕生しました。
水島氏は開店の際の挨拶で、
十河(そごう)史上、もっとも人口の少ない
町への出店と語っており
茂原にとって水島氏は大恩人な訳で
茂原十河(そごう)には、6千万円かけて
作った社長執務室も用意されました。
この部屋は水島氏が一度も
利用しないままそごうは
閉店したようです。
水島氏の人となりは、
復活予想⑤」にヒロ様が詳しく
コメントしてくださいました。
鬼籍に入られ久しいですが、
お会いしてみたいです。
今回はここで終了です。
(次回に続きます。)
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