第四章千葉にあった百貨店⑤
カルビーさんの
秋の大収穫祭
キャンペーンに応募して
頂戴した『じゃがいも』
カルビーは、私が小学生の頃
創立15年程度の
新興企業でしたが、
今年創立71周年。
一方当小説のモデル茂原そごうは
僅か9年の短命でした。
茂原十河を開店させた水島氏は、
信頼を重んじる方とされ
事業は継続するもの
土地価格は上昇し続けるもの
という観点に立ち
出店を決められたとのこと。、
十河デパートは創業期、
東京、大阪、神戸の3店舗で営業。
江戸時代からの呉服店をルーツとする
三越や高島屋などの
後塵を拝してました。。
そこで水島氏が目を付けたのは
郊外への出店。
高度、成長バブルの時代は
郊外も発展し伍して戦える
庶民に百貨店を身近なものに
させたのが、水島氏です。
水島氏は学者でありバンカー、
独特のアイデアで資金繰りを行い
郊外へ続々と出店します。
錬金術の最たるものは『茂原十河』で
毎年15パーセントの売り上げが
UPしないと黒字化は困難。
バブル期であれば、
もしやの黒字実現も
あったかも知れませんが、
開店したのは、バブル崩壊後。
開店と同時に景気後退の状況は、
働く従業員の方にとって
非常に厳しい状況。
私の茂原十河とのお付き合いは、
その中で特に厳しい後半の
五年間でした。
第四章はここで終了です。
次回から第五章です。
ご高覧ありがとうございました!
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