鹿島線が開業したのは、
1970(昭和45)年8月20日。
開通の目的は、国策であった
『鹿嶋臨海工業地帯』の発展と
成田空港への燃料輸送。
全線高架区間で、
途中踏切は、1個もなし。
そんな近代的な路線でありながら
開業当初は非電化。
新宿や両国へ直通する
急行はデイーゼルカーでした。
鹿島線の最初の変化は電化。
特急『あやめ』が運行され東京駅へ。
急行は『鹿島』が同じく電車に
なったけど車両が古く
東京地下駅に入れなかった。
以前と同じように新宿、両国へ。
特急『あやめ』は平日はビジネス
土日は行楽を中心に利用されたけど
高速道路が潮来まで延伸すると
主役は高速バスに交代。
地元で配布される大判の
田舎時刻表は、いつのまにか
高速バスダイヤに。
東京までの直通列車も
朝晩上下1本ずつ運行される
4両編成の快速だけです。
鹿島線の私の思い出を
一つご紹介します。
小学校5年生の秋、親に連れられ
鹿島神宮と臨海工業地帯へ。
臨海工業地帯へのバスは
見当たらず、流しのタクシーに乗車。
そのタクシーは神奈川ナンバー。
どうやら仕事関係の方が
京浜工業地帯から乗車ではないかと。
タクシーで工業地帯を回ったあと
延方駅前の食堂へ
運転手さんといっしょに
ラーメンをすすりました。
その食堂が懐かしく40数年を経て
訪問しましたが、既に閉店。
ただ建物は食堂時代のままでした。
さて、再び鹿島線の話題へ
鉄道は本来時刻が確実で
その安定性と大量輸送が、
運賃がバスを上回っても
支持される要因ですが、
鹿島線はそうでは、ありません。
鹿島線内もしかりですが、
佐原から先乗り入れる
成田線も単線運行。
正常ダイヤで運行されるなら
OKですが、上下線どちらかで
遅延が発生すると
全線に影響を及ぼすのが
単線区間のかなしさです。
バスも道路状況により
遅延がありますが、
価格の魅力も支持の理由かと。
現在ほとんどの列車が
成田線佐原駅と鹿島神宮駅の
折り返しです。
日中も間隔が空く時間帯は
次の列車は2時間後。
典型的なローカル線です。
さて、明るい話題の少なかった鹿島線
令和になって、少しずつ光明も。
東京2020のサッカー競技場が
鹿嶋スタジアムで開催。
令和2年春から交通系ICカードが
利用可能になりました。
ただ良い事ばかりでなく、
潮来駅は無人化。
JRの職員さんは、見かけませんが、
潮来駅に業務委託で来ているらしき
女性職員さんは、とても親切。
トイレは綺麗に清掃が行われ
職員さんからは、ICカードを
タッチすると
『いってらっしゃいませ』と
声をかけてくれます。
親しみやすい駅に
変貌しつつあります。
鹿島線がいつまでも走り続けることを
心から願っています。
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