急行『かいじ』は1961(昭和36)年
準急として、誕生し後急行に昇格
その後1986(昭和61)年に廃止。
そして列車名は2年後
1988(昭和63)年に
特急として復活。
私が『かいじ』を利用するのは、
大抵の場合山梨の親戚訪問で、
齢と共にいつのまにか急行よりも
特急との付き合いが長くなりました。
(写真は富士急行乗入れ、
臨時急行、後ろは山スカです。)
『かいじ』が特急に格上げしたのは、
昭和の晩年ですので、
変じたのは正確には
平成ではありません。
急行『かいじ』は新宿~松本方面を
走行した急行『アルプス』と同じ
165系という急行車両と
普通電車に主に使用された
115系の2車両で運転。
115系はピークをはずした時間帯で
運行されていたと思います。
私は115系『かいじ』が
とてもお気に入りで
なぜ、この『かいじ』が
好きだったのは、
ともかく空いていたこと。
そもそも『かいじ』の本数は少なく
夕方のピークに走る急行は
長野方面から来る
急行『アルプス』がほとんどで
土日に座れることはなく、
デッキで山男、山ガールに
交じりながら約90分
立ちっぱなしの辛い思い出を
回想します。
昭和50年代前半頃まで
臨時急行に115系車両が
他線でも充当されました。
大宮~長岡に運転した
『信濃川』号に乗車したことがあります。
GW中ということで混雑を
覚悟してましたが、
ガラガラで貸切状態。
当時の大宮は広域からの
アクセスは今ほど良い状況になく、
ターミナル機能は
さして高くありません。
上野へ直通する枠が
確保できず、大宮発
というのが、実態。
さて、話を『かいじ』号に戻します。
平成初期の変化は、週末を中心に
運行区間が松本まで延長されたこと。
平成の晩年には特急『あずさ』も含め
全車指定席になったこと。
週末を中心に中央線の急行が
デッキに人が溢れかえっていた
時代を体験したものには、
全車指定席化が
信じられません。
急行『かいじ』の時代河口湖行
急行『かわぐち』が
併結されている場合も。
名前のとおり河口湖駅まで
乗り入れており、特急『かいじ』と
なってから乗り入れ中止ですが、
近年『かいじ』号に分割、併結
可能なE353系という新車が
投入され乗入れが復活。
特急『富士山回遊』という列車名で
名称は変わりましたが復活。
歴史が繰り返しているように感じます。
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