高度成長期を担った団塊世代同様
猛烈に働いたのが、101系電車。
写真は中央線から立川で分岐する
五日市線に休日運行された
『あきかわ』号と青梅線『おくたま』号
が運転されハイカーなどに利用された。
101系電車の休日運行の行動範囲は
幅広く行われました。
具体的な運行区間ですが、
『甲府』、『高崎』、『安房鴨川』
『小田原』、『久里浜』などです。
私が実際に乗車し、
記憶にあるのが中央線甲府。
山梨の親類の家に行き
乗車するのは、『山スカ』と
呼ばれた115系か、急行の165系。
帰りにいつもの電車でなく
101系がホームに入線すると
とても残念な気分でした。
小学生であった私は通勤地獄の
日常を思い出してではなく、
次の3点が理由でした。
① ボックス席がない
中央線はトンネル区間が
多いのですが、山間の風景や
渓谷が向かい合わせの席なら
楽しめるますが、ロングシートで
前に人が立ったりしたら
何も見えません。
② トイレがない
通勤車両であるため設備がなく
2時間程度我慢が必要。
『山スカ』車両は、都心乗り入れもあり
早くからタンク式のトイレが完備。
同時期他線では、便器から
線路が見えるのが日常でした。
③ おやつ
当時中央線では、
笹子~甲府間で
普通列車にも車内販売があり
銘菓『笹子餅』とコーヒーが
売られていました。
普通電車のボックスシートには、
テーブルはありませんが、
父が餅を膝にのせて包みを
開き食べさせてくれました。
ロングシートでは食べようがなく
そもそも売りにこなかったです。
山梨の餅菓子と言えば、
今日誰しも桔梗屋『信玄餅』を
思い浮かべますが
当時笹子餅も人気がありました。
笹子餅の車内販売は、
特急列車で存続しましたが
いつのまにか廃止。
現在は甲府駅で販売との
ことですが、私は探せません。
当時の大人たちは
休日のレジャーの際に
いつもの『金魚』が現れると
気持ちは、ブルーになったのか
聞いてみたいのですが、
廻りに話を聞けそうな人は
あいにく見当たりません。
うーん残念。。。
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