鉄道100周年を祝して発行された国鉄監修『交通公社』の1972年10月小型時刻表、表紙です。当時私は小学生、この時刻表は自ら購入したものでなく後日知人から入手したものです。100周年当時、少数とは言えまだSL機関車が定期列車や貨物列車に運行され、まだ明治の創業時からの色を残していた時代と言えます。そんな影響からか、この表紙も鉄道開業時の風景画となっています。100周年から150周年この時期は私にとって、小学校低学年から社会人卒業時、現役社会人生活真っ最中にあたります。私なりの視点ではありますが、この50年の間鉄道にとって大きなこと、後世に語り繋がることであろうと思われる事象を3つご紹介したいと思います。
本題に入る前にもう一つご紹介したいことがあります。『毎日グラフ』別冊日本の鉄道100周年記念号です。これは私の父親が買ってきて家にあったものです。
鉄道100周年行事の最大イベントは、この雑誌の
特集記事になっていますが、SL機関車と新幹線の並走でした。誰しもが情報発信が可能となった今日、この行事を開催するとすれば、大パニックとなりえます。また少し前までなら記念『Suica』の販売も検討されたのでしょうが、『東京駅開業100周年Suica』の販売トラブル発生以降、この手のものもすっかりなりを潜めています。
前置きが長くなりましたが、ここからは
『旅の紙芝居』編集部独断と偏見による
100周年~150周年の大きなできごと
3つをご紹介して行きます。
当たり前のことばかりで
つまらないかも知れません。
① 国鉄の分割民営化
JR発足から35年が経過しそもそも『国鉄』て何?
そう思われる方が多いかも。
国鉄時代はJNRと表記されていたのが
NationalのNが消え、報道では『旅客会社』
という用語がしきりに使われ出しました。
貨物輸送も含まれていたからでしょうか、
それよりも国鉄=親方日の丸
(サービス業の感覚がない)
旅客=お客様という観念を醸成する。
今日JRの駅員さんたちは
総じて親切ですが、JRの発足直後、
国鉄職員の方々のぎこちない(失礼)
サービスに違和感を感じました。
国鉄の晩年、キャッシュレスの走りとして
オレンジカードが発売開始。
当時増収策の一環としてシリーズの
オレンジカードが発行されました。
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』のシリーズは
発行開始からNO5までは国鉄発行、
NO6から最後のNo10はJR東日本東北です。
② 鉄道連絡船の廃止
『青函連絡船』、『宇高連絡船』も廃止から
30年以上経過し、存在を知らない方も多いのでは。
北海道、四国は国鉄時代線路では繋がっておらず
鉄道連絡船を介しての接続でした。
青函トンネル、本四架橋に列車が走るようになり
当時一本列島という言葉が、しきりに使われました。
青函連絡船は乗船時間も長く
東北線の下り列車であれば、盛岡を過ぎた頃から
乗船名簿が配布され、子供心に危険なところへ
行くのだと緊張したのを思いだします。
青函連絡船の詳細はリンクブログをご覧ください。
③ イオカード
①と②と比較すると地味な感じで
本来であれば『東北新幹線』や『上越新幹線』の
開業を取り上げたいところですが、
キップを買わずに電車に乗れるようにしたこと
まさに革命と言えます。
今日NHKの女性アナウンサーが、
イオカード小学生の頃、通学で利用したと
話されていました。時代を感じます。
イオカードの詳細はリンクブログをご覧ください。
鉄道200年もこの目で見てみたいのですが、
それはおそらくかなわないでしょう。
是非後進の方に続編を
書いていただければと思います。
【特別斡旋:希少JRお楽しみ時刻表】
1990年に駅で配布された路線ごと時刻表を
メルカリでご紹介しています。
是非、ご高覧くださいませ!!
https://jp.mercari.com/item/m37193830137?afid=2817524784
コメントをお書きください