10月下旬の金曜日の朝、
母が入居するホームの管理者から
早朝LINEの着信通知が何度かあり、
その後メッセージがありました。
開いて見ると『母が亡くなった』と
記されてます。
加齢による衰えはあったにせよ、
いつも元気でホームから
月に一度送られてくる手紙には
何とか自力で歩いており、
食欲もあると記され
連絡をくれた職員さんによると
前日の夕方は歌を歌いながら
食事を普通にしていたとのこと。
私も病院に運ばれたのかと思っていたら
夜勤の職員さんが朝、起こしに行くと
手がぶらんとたれて
呼吸をしていなかったと。
わが親ながら見事な最期、
苦しまずに逝った事
亡くなるのは悲しいけど
良かったと思います。
楽しい思い出ばかりでは
ありませんが、少年時代を
中心とした母と私のことを
回想してみたいと思います。
まず最初に母と二人で帰省以外に旅をした時のこと。『群馬県水上温泉』
昭和48年、私が10歳の時の春休み水上へ行き帰りに上野まで乗車したときの切符が手元にありました。切符は4月4日の日付、前日の3日に宿泊。当時事前に予約していない場合は、駅の改札付近に宿の呼び込みの方がいて、その場で条件交渉。現存しない『菊富士旅館』に宿泊。
記憶に残っているのは2つのこと。
ひとつは温泉大浴場、母は私を女湯に
いっしょに連れて行きたかったようですが、私が拒否。ひとりで男湯に入浴。
旅館の大浴場は男女に分かれてはいるものの上の方は空洞の隣り合わせ。
母は私が心配だったらしく女湯から大声で『〇〇ちゃんと肩までつかるのよ』と叫び声。
私が恥ずかしくって黙っていると30前後のお兄さんが、私の代わりに『ママ大丈夫だよ』きちんと洗ったからねと返答。さすがに母も恥ずかしくなったらしくそれ以降はだんまり。おそらく私は母に苦情を言ったことでしょう。ところでこの宿泊した『菊富士旅館』は霊感など全くない私が風呂上り、誰かが後ろから付いてくるような気がしてならないのです。その理由が分かったのは、水上から帰り、父に旅行の話をしていた時の事、『菊富士』に泊ったのか、そこは以前火事で多くの人が亡くなったと・・・。父さん先に言ってよ。母と私の旅行は他に仙台へ。(次回ブログで仙台旅行のことを書きます。)
パーマ屋でトイレを借りた時
普段目かくしで見えない
シャンプー台を目撃
初めてみた少年には刺激的
シャンプーされているオバサンを
まじまじと見学しました。(笑)
仰向けに寝かされたオバサンは、
顔にタオルがかけられ
なすがままにされ頭を
ごしごし洗われています。
その作業が終了すると
『お疲れ様でした!』と声が掛かり
頭をタオルでくるまれ、
眠そうな顔で起きあがります。
私に見られていたのが、
恥ずかしかったらしく
オバサンは照れ笑い。
確かに人に見られるのは
恥ずかしい、失礼しました(笑)
お疲れ様でしたと言葉がかかり
眠そうにしているので
床屋のシャンプーは
あまり疲れないけど
パーマ屋のシャンプーは
体勢的には楽なのに
何故眠そうなのか
不思議でした。
自分で体験して
眠くなるのを実感したのは
母は『髪結いさん』で
頭を洗ってもらってくると
父に言ってよく出かけてました。
母は髪結いさんが
楽しみであったようです。
とりとめのない話題を
二つ書きましたが、
母を偲んでの回想です。
また折に触れ
母との思い出を書きます!
ご高覧ありがとうございました。
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