母が永眠してから最初の月命日の頃となりました。日常を取り戻しつつある今日ですが、お世話になっていたホームへ行けば、母に会えるような気がしてなりません。私の手元に母の介護保険料支払い停止通知書とか、郵便物が諸々届くたび改めて亡くなったことを実感します、、、
『母のこと①』ブログにも書きましたが、誰にも迷惑をかけず、ひとり静かに旅だった母、身内ながら立派だったと思います。さて、今回は母と私の二人だけで旅行した最後の小学生時代の仙台、蔵王旅行について書いてみます。
前回ブログの水上旅行と仙台は
別の年と思っていたのですが、
案の定同じ年の旅行でした。
ただこの東北旅行は、
当初父と母と私の三人で
行くはずだったのですが、
父が仕事で行けなくなり
急遽母と二人で行きました。
当時の特急券の発売開始は
乗車日の7日前からで切符の
予約と同時にすぐ出発する感じ。
そんやかんなな状況で帰りの
特急1名分のキャンセルに
トラブル発生、この件は最後に話します。
仙台旅行松島や蔵王など
色々観光したのですが、
元祖鉄ちゃんな私旅先よりも
乗り物の思い出が中心。
往路は上野から仙台行き
夜行急行列車、新幹線の無い時代
時間を節約するには夜の移動。
急行のボックス席に乗車すると
対面には若いお姉さんが一人。
夜汽車で反対側に親子連れで
安心した様子。
ところが母と私はお姉さんの
休息の場を奪う事に。
どうやらお姉さんの膝を枕にして
二人とも熟睡していたよう。
明け方福島を過ぎたころかな
母と私は目をさまし、母はお姉さんに
眠れましたかと質問、
お姉さんはいいえあまりと回答。
お二人はよく休まれていましたね、
私の膝に頭がよっかかってましたと
笑いながら話す。
仙台に帰省と話されていたので
仕事が終わって、郷里へ少しでも
早く帰るべく乗車していたのでしょう。
当時お姉さんが何故夜行に
乗っていたか思いやる事は
できなかった。
少年時代に会ったお姉さんは
何故か美化してしまう。
マドンナくみちやんもしかり。
少しでも休みたかったお姉さんに
申し訳ないという気持ちを
持つことなく仙台で乗り換えて
松島の水族館に向かった。
宿泊したのは、仙台の奥座敷
秋保温泉、宿泊したのは
今も現存する旅館だが、
ここも水上と同じように
宿泊する少し前にボヤ騒ぎが
あったらしい。少し落ち着かなかった記憶がある。翌日は宮城蔵王へ向かった
当時温暖化が叫ばれる前で
4月下旬でも結構残雪があった。
私の社会人スタートは仙台、当時会社の同期と宮城蔵王に何度か足を運び母と旅したことを回想した。
さて当ブログのまとめは仙台から
帰路乗車した特急のこと。
当初A、B、Cの横並び3席を確保。
父がキャンセルしたのは窓側のA席、
通路をはさんだBとCの席で帰路に。
水上で女湯に入浴を拒んだくせに
約4時間知らない人と座席の隣り合わせ
いやでしょうがなかったのだけど
昭和は優しかった。
キャンセルをしたA席を後から
購入したおじさんが、席の交替を
してくれた。
めでたく母と弁当を食べながら上野に
19時過ぎ到着した。
一旦母との思い出は今回で
終了したいと思います。
最後までお付き合いくださいまして
ありがとうございました!
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