~東京トーチ誕生へのプロセス~
今回は23年1月下旬日本ビル低層階窓の取り壊しの画像からご紹介します。窓が破壊されると痛々しい感じが否めません。完全に囲われてしまうと中の様子は伺いしれず、それは困るのですが、窓がえぐられていくのは悲しいです。20年以上前ですが、このビルに取引先があり何度も訪問してました。各部屋の入り口は郵便受けが設置されメールセンターの無いころは直接各部署に手紙が配達されていたのでしょう。また昭和の大型ビルは各階にポストがありそこから投函が可能。
続いて2月下旬の様子です。ビルの中層階まで囲いで覆われ解体が進んだと思われる低位階の様子は伺い知れません。正目側側面も囲いで覆われほとんど見えなくなっているのと最上階の部分は既に解体されなくなっています。オフイスビルですので、展望レストランでは無かったですが、当初はイベントスペースであったようです。
画像左側の高層ビルが『朝日生命ビル』、以前は東海銀行本店が入居しており『朝日東海ビル』を名乗っていました。ビル内にピアノ生演奏レストランがあり、ランチタイムも楽しめました。
味覚音痴の私が言うのもどうかですが、料理はいまいちで、ピアノの演奏でカバーしているように感じました。
昭和のモダンビルの最上階は
大抵展望レストランがありました。
『船橋そごう』には、
かってスカイレストランが存在。
展望回転レストラン閉店後は
なんと美容室に転じました。
レストラン時代高所からの
夕景が楽しめました。
同僚のOLと行きました。
彼女は美容室としてオープン
した時も行ったようで
回転展望式といっても
レストランの景色とは違う。
特に感想はないと・・・。
海の夕景を見たかったけど
シチュエーションがシャンプーで
シービューは実現しなかった。
でも彼女はイケメン男子に
髪を洗ってもらうのが、
至福の時と話していた女子。
満足度は高かったようで
景観は関係なかったかも。(WWW)
話がかなり脱線しましたが、
本題に戻ります。
私が直近で解体現場を見たのは23年4月に丸の内へ行く機会がありました。
その際に撮影した近景をご紹介します。完全に囲われ外見は伺いしれません。。。今日解体はかなり進んでいるものと思われます。
現地へ行く機会があれば、またリポートしたいと思います。
今回はここで筆をおきます。
日本ビル・朝日生命ビルと同時代を
過ごしたFEMALEたちをフィクションでご紹介!!
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