セピア色のわら半紙は井川線観光案内パンフレットです。昭和56年、今から40年以上も前に私が寸又峡へ行ったとき大井川鉄道には、静岡駅と浜松駅から国鉄車両が乗り入れる快速電車が走ってました。大井川鉄道各駅のホーム延長からするとおそらく3両の乗り入れだったのでしょうか。静岡駅発の快速は『奥大井号』、浜松からは『すまた号』という名称の快速電車でした。当時の日記によると東京駅7:43分の『こだま』に乗車、静岡では『奥大井号』接続しておらず、東海道線の普通電車で、金谷まで行きそこから浜松始発の『すまた号』に乗り換えて千頭駅へ向かいました。
当時大井川鉄道では、国鉄乗り入れ臨時快速も含めると片道約25本の列車運行がされていました。直近8往復まで減少しており、隔世の感があります。
一方井川線はアプト式鉄道開通前でデーゼル機関車牽引による旧道ルートで『奥大井湖上駅』は存在しませんでした。井川線も今より列車ダイヤは密で、千頭駅でSL列車に接続した千頭~奥泉間の臨時列車が運行されていました。旧線時代の井川線は、現在秘境駅として人気を博している『尾盛』や『湖上駅』のような鉄道関連で人気のコンテンツがなく、当時まだ築浅の井川観音が観光の中心であったようです。
井川線はダム開発の経緯もあってか、
中部電力が所有し、運行は大井川鉄道に業務委託しています。昭和の時代も中部電力は立派なパンフレットを作成していました。
この当時井川~静岡間で長距離路線バスが運行されており、千頭から入ると出口は静岡、逆に静岡からバスで入ると鉄道で、金谷方面に抜ける周遊ルートが一般的でした。現在静岡~井川間の直通バスは運転されておらず区間によっては、地元優先のコミュニティバスの走行であったりして、井川へ行ったとしても千頭経由の大井川本線でで金谷に戻るのが一般的です。 ただ残念なことに現状大井川本線が千頭まで開通していないので、マイカーやレンタカーの利用がなければ、井川線に乗車するのは厳しい状況です。
早期復旧を切望いたします。
井川線の旧線時代デーゼル機関車
昭和時代の懐かしい思い出です。
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